手にされなくなったのは云う迄もない。
その尻がドシドシ警視庁の人事相談所に押しかけて来たのである。
自由恋愛と離婚
その次に矢張り十三年度の三四月を区切って急に殖《ふ》えて来たのは、取引上の紛紜《いざこざ》、喧嘩の後始末、夫婦喧嘩の尻拭いなぞである。このような傾向になった原因は小さくややこしいが、つまり一般の景気が落ち付くと同時に生活に多少の余裕が出来た。一方に今までの奮闘気味がダレて来たために不景気をシミジミと感ずる向きも出来たという、職業紹介所の係員の見方が穏当であるまいかと思われる。
その中でも面白いのは夫婦別れの相談で、三四月頃まで絶対にないと云ってもよかったのが、花時から急に殖えて来て押すな押すなの盛況を見せた。
このような夫婦別れに関係した法律その他の相談は、今日迄も引続いて警視庁の人事相談所に持ち込まれている。右に就いて相談所側の係員はこう観察している。
東京の震災後、一般民心の昂奮状態は実に異状なものがあった。男も女もまるで小説中の人物であるかのように頭がすっかり一本調子になって、僅かの事にも感謝したり感激したりする状態であった。
その結果、到る処に出来合いの夫婦関係が成立したもので、その当座世間がザワザワしているうちは、そのまま一所に生活や何かの問題に紛れて関係が続いて来た。ところが翌年の春となって、世間が落ち付いて、お互の間の緊張味がなくなって来ると、今更にお互の顔が見合わされて来た。アラが見えたり、イヤになったり、その他経済上の問題や夫の不品行なぞが問題になったりして、方々で別れ話が持ち上り始めた。
この議論はチト乱暴であるが、元来が出来心の関係だから、花時になって急に合せ物の離れ物気分になったのも無理はないと云えば云える。
さてこの夫婦別れの人事相談でも、よく観察するといろんな筋道があって、東京市民――もしくは現代人の生活の裏面の或る物を暗示している。
先ず夫に別れたいという相談を持って来るのは、大抵学問や理性の備わっている人が多い。つまり夫婦になろうという時の気持ちは、学問や理性を超越した気持ちになっている時であるが、すこし落ち付いて来ると、その学問や理性が頭を持ち上げていろんな事を考えさせる。そうして別れ話を持ち上げさせるという順序で、彼等の身の上相談を聴いて見るとこの消息がよくわかる。現代の婦人がその得手勝手な理智と情緒とのために如何に苦しめられているかは、この一事でも遺憾なく説明されている。
次に人事相談所に別れ話を持って来る女の中には職業婦人が非常に多い。それは男の欠点を最もよく知っているからだそうである。
これ等の事実を煎じ詰めると、現在の東京で最不幸な結婚をするものは、学問のある婦人と技術を持つ婦人であると云える。普通ならば幸福と見て差支えない結婚を彼女等の技芸や学問が不幸なものと感じさせるのか、それとも彼等の学識や技術が初めから彼等に幸福な結婚をさせなかったのか、その辺の事は大いに研究に価する。些《すくな》くとも親兄弟や親戚友人なぞの意見に盲従した結婚の別れ話がめったに人事相談所に来ない。自由結婚から来た自由離婚だけが来る。しかもそれが大正十三年の春以後の東京に激増した事は、新日本の新紀元を画すると云ってもいい位だそうである。
も一つ序に書いておくが、警視庁の人事相談所ではこんな恐ろしい実例が挙がっている。
乱暴な結婚媒介
震災後の東京には、結婚媒介を商売にするものが雨後の筍《たけのこ》のように出来た。これはさもあるべき事であるが、しかし如何に需要と供給の烈しい関係からといえ、その無責任な営業振りには驚かざるを得ぬ。
ほかの商売と違って、どうでもいいようで実は極めてどうでもよくない事を、無暗矢鱈《むやみやたら》とどうでもよい式に取り扱うので、その結果は大抵滅茶滅茶と云う。それでも相当に繁昌しているのだから恐ろしい。東京の人々は棄て鉢で結婚するのではないかと思われる位である。
しかし満更棄て鉢でもない証拠には、そうした結婚の失敗したあとをドシドシ警視庁の人事相談所へ持ち込んで来る。そのおのろけと涙の紋切形をば一々聴いてやる係員も大抵ではいともあるまいと思われる。
係員の話に依ると、こんな不良結婚媒介所では売淫の仲介はしないらしい。その代りその仲介の方法は極めて乱暴である。
誰でも結婚媒介所の門口をくぐった者は申込料として五円取る。それから似合いのがあるという通知を出して、何月何日の何時に双方やって来ると、今度は会見料として又五円取る。しかもこれは成功不成功に拘《かかわ》らずで、おまけに男女双方から取るのだから一会見やらせると十円になるわけである。
「あんな女に紹介をして五円取るとは怪《け》しからん。いけないにきまっているじゃない
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