の配達|偏執狂《マニア》ともいうべきものではないか! ぐらいにしか考えていなかった。
 しかし、こうした私の利己的な、唯物弁証的な考え方は、間もなく打《ぶ》っ突かった一つの大きな奇蹟のために、あとかたもなく打ち壊されて、それこそ立っても居ても居られぬくらい狼狽させられなければならなくなった。

 旧正月の四五日前の或る大雪の朝であったと思う。
 例によって例の配達手君が置いて行った一塊の小包を開いて見ると、厳重に包装した木箱の中から、鋸屑《のこくず》に埋めた小さな二つの硝子《ガラス》瓶が出て来た。その一つには石炭酸と貼紙がしてあり、今一個の瓶は点眼用となっていて、何の貼紙もしてない。そのほかに安っぽい筒に入れた黒色のセルロイド眼鏡が一個出て来た。
 私は思い出した。それはツイ二週間ほど前のことであった。いつもより、すこし遅目に這入《はい》って来た郵便配達手君を、何気なく振返って目礼を交した時に、その瞼がヒドク爛《ただ》れて、左右の白眼が真赤に充血しているのを発見したので、私はハッとして思わず口を利いたのであった。
「オヤ。アンタは眼が悪いかね」
 配達手君は今一度、念入りに敬礼した。
「ハイ。トラホームで御座います」
 私はイヨイヨ心の中で狼狽した。
「ナニ。トラホーム。ずっと前からかね」
「ハイ。古いもので御座います」
「医師《いしゃ》に見せたかね」
「ハイ。見せても治癒《なお》りませんので! ヘエ」
「それあイカンね。早く何とかせぬと眼が潰れるぜ」
「ヘエ。このような大雪になりますと、眼が眩《まば》ゆうて眩ゆうてシクシク痛みます。涙がポロポロ出て物が見えんようになります」
「ふうむ。困るな」
 無愛想な私は、それっきり何も云わないまま、原稿紙と参考書の堆積に向き直って、セッセと仕事にかかったので、郵便配達手君も、そのまま敬礼して辞し去ったらしい。
 私が郵便配達手君と言葉を交したのは、これが、最初の、最後であった。むろん名前なんかも問い試みるようなことをしなかった。
 しかし私はその翌る日の大雪に、通りかかった吉という五十歳近い猟人に一通の手紙を托《たく》した。その内容は故郷の妻に宛てたもので大要次のような意味のものであった。
「今の俺の仕事場に一人の郵便配達手が来る。その郵便配達手君はトラホームにかかっていて、けんのんで仕様がない。そのトラホームをイジクリまわ
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