非常にペコペコして三拝九拝しながら私が持って行った手土産の菓子箱を受取ったものであった。
 そうした若い局長さんの命令を一人の中年の郵便配達手がイトモ忠実に実行してくれた。
 その郵便配達手君は青島《チンタオ》戦争の生残りという歩兵軍曹であった。機関銃にひっかけられたとかで、右の腕が附根の処から無くなり、左手の食指と、中指と、薬指の三本も亦《また》、砲弾の破片に千切られて、今は金鵄《きんし》勲章の年金を貰いながら郵便配達をやっているという話で、見るからに骨格の逞ましい、利かん気らしい、人相の悪いオジサンであった。身長もなかなか大きく五尺七八寸もあったろうか。それが巻ゲートルに地下足袋を穿《は》いて、毎朝十一時前後にやって来る。そうして私の寝室の入口を押開けて、上り口に突立つと、不動の姿勢を執りながらギックリと上体を屈めて敬礼し、前にまわした鞄《かばん》の中から郵便や、新聞や、雑誌の束を取出して恭《うやうや》しく私の手の届く処に差し置き、今一度謹しんで不動の姿勢を執って敬礼し、汚ない日本手拭で汗を拭き拭き立去るのであった。
 しかも、そうした配達手君の敬礼は多分、あの文学青年の局長さんの私に対する敬意のお取次であったらしいことを想うと、私はいつも微笑《ほほえ》ましくなるのであった。
 最初の中《うち》、私はそうした配達手君の敬礼に対して、机の前に座ったまま、必ず目礼を返すことにしていたが、その中《うち》にだんだんと疎《おろ》そかになって来た。仕事に夢中になっている時なぞ、振向いて見る余裕すら無いことが度々あるようになった。しまいにはいつ頃来て郵便物を置いて立去ったのか、わからない中《うち》に日暮れ方になって、フト傍の封のままの新聞を見て、まだ昼食も夕食も喰っていないことを思い出し、急に空腹を感ずるようなことを一度ならず経験するようになった。その配達手君の出入りを、窓の隙間から這入って来た風ほどにも感じないようになってしまったものであるが、それでも配達手君は毎日毎日忠実、正確に往復八里の山坂をその健脚に任せて私のために、僅か二通か三通の郵便物を運んで来た。二三日分溜めて持って来るようなことは一度もないのであった。

 性来無口の私は、その配達手君と物をいったことがなかった。先方から、つつましやかに、
「お早よう御座います」
 とか何とか言葉をかけられても、頭の中に創作の
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