《あとしざ》りした。しかし、それとても別段に藤六の死因とは関係がありそうに思えなかった。つまるところ、藤六の風変りな信仰であったろう。それとも藤六がどこかで発見した無縁仏の骸骨を例の仏性《ほとけしょう》で祭ってやっていたものかも知れない。黒穂《くろんぼ》の束も、何の意味もなしに、持って来ただけ始末して仏様に供養していたのかも知れない……といったような話のほかに説明の付けようがなかったので、結局、藤六の死因は何かの中毒だろうという事になって片付いた。
なおその騒ぎの最中に、帳場の掛硯《かけすずり》の曳出《ひきだ》しからボロボロになって出て来た藤六の戸籍謄本によって、藤六が元来四国の生れという事……それにつれて、藤六は、その近まわりに一人も身よりタヨリの無い男という事がわかったので、葬式は自然近所|葬《ともらい》といった形になった。すると又それを聞いた直方《のうがた》の顔役が十円札を一枚投出してくれたので、それを便りに赤の他人が十人ばかり寄合って、今夜は通夜をしようという事になったが、もちろん念仏なんかはホンの型ばかり。仏が売り残した煮物類と酒樽の酒を相手に、いい加減酒の座が騒がしくなった日暮れ方のこと、真黒に日に焼けた行商人|体《てい》の若い男が、ノッソリと店先へ這入って来て案内を乞うた。
その態度が乞食でもなく、酒買いでもないらしいので、上り口に居た若い男が取合ってみると、それは仏の甥《おい》と名乗る男で、叔父の藤六が死んだばかりと聞くと、上り框に獅噛《しが》み付いて、手も力もなくグシグシと泣出したお蔭で、一座がシンとしてしまった。皆、どう処置していいか、わからなくなったのであった。
そのうちに誰かが気を利かして警察へ知らせたらしく、暫く経つと巡査が一人来て取調べる事になった。……その様子を聞いてみると、その男の名前は銀次といって今年三十二歳であった。元来四国の者で、仏様……藤六の兄の藤十郎から十七の年に、勘当された放蕩者の一人息子で、中国筋を流れ流れて大阪へ着いた二十五の年に、初めて放蕩の夢から醒めたという。それから人足、手伝い、仲仕の類を稼いで、あらん限りの苦労をした揚句《あげく》、鉋飴《かんなあめ》売りの商売を覚えて、足高盥《あしだかだらい》を荷《かつ》ぎ荷ぎ故郷へ帰って来たが、帰って来てみると故郷は皆死絶えたり零落してしまったりしてアトカタもない。初め
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