人間が在ると、藤六は眼敏《めざと》く見付けて、眼に立たないように何かしら懐中《ふところ》から出してやって立去らせるのであった。立去るうしろ姿を見ると老人、女、子供は勿論のこと血気盛んな……今で云うルンペン風の男も交っていた。
お客の居ない時なんぞは、母子《おやこ》連れの巡礼か何かに、何度も何度も御詠歌を唱わせて、上口《あがりぐち》に腰をかけたまま聞き惚れているような事がよくあった。そのうちにダンダン感動して来ると、藤六の血色のいい顔が蒼白く萎《しな》びて、眉間に深い皺《しわ》が刻み出されて、やがてガックリと頸低《うなだ》れると、涙らしいものをソッと拭いているような事もあった。そんな場合には巡礼に一升ぐらいの米と、白く光るお金を渡しているのが人々の眼に付いた。
麦の穂が出る頃になると藤六は、やはり店に人の来ない時分を見計らって、家の周囲の麦畑へ出て、熱心に麦の黒穂《くろんぼ》を摘んでいる事があった。これも藤六|老爺《おやじ》の一つの癖といえば云えたかも知れないが、しかし近所の人々は、そうは思わなかった。やはり仏性《ほとけしょう》の藤六が、閑暇《ひま》さえあればソンナ善根をしているものと思って誰も怪しむ者なんか居なかった。
とにもかくにもこの藤六|老爺《おやじ》が居るお蔭で、直方には乞食が絶えないという評判であったが、実際、色々な乞食が入代り立代り一パイ屋の門口に立った。「あの乞食酒屋で一パイ」とか「乞食藤六の酒は量りが良《え》え」とか云われる位であった。
その名物|老爺《おやじ》の藤六が昨年……明治十九年の暮の十一日にポックリと死んだ。
炭団《たどん》を埋めた小火鉢の蔭に、昨夜喰ったものを吐き散らして、夜具の襟を掴んだまま、敷布団から乗出して冷めたくなっているのが、老爺《おやじ》の心安い巡回の巡査に発見されたので、色々と死因が調べられたが別に怪しい点は一つも無かった。
ただ一つ、盗まれたものはないかと家中《うちじゅう》を調べているうちに、押入の隅に祭ってある仏壇らしいものに線香も何も上げてない。その代りに白紙に包んだ麦の黒穂《くろんぼ》の、枯れたのが、幾束も幾束も上げてあるのが皆を不思議がらせた。それからその仏壇の奥の赤い金襴《きんらん》の帷帳《とばり》を引き開いてみると、茶褐色に古ぼけた人間の頭蓋骨が一個《ひとつ》出て来たので皆……ワア……と云って後退
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