ばこのまま突出すがええか……警察は俺の心安い人ばかりだ」
 白い手の力がグッタリと抜けたようであった。
 銀次は片手で女の手首をシッカリと握り締めたまま油断のない腰構えで掛金を外した。黒覆面に黒脚絆、襷掛《たすきが》けの女の身体《からだ》を潜戸と一所《いっしょ》に店の中へ引張り込んだ。同時に水のように流れ込んで来る月明りに透かして女の全身を撫でまわすと、内懐《うちぶところ》から竹細工用の鋭い刃先の長い、握りの深い切出小刀《きりだし》を一挺探り出して、渋紙の鞘《さや》と一所に、土間の隅へカラリと投込んだ。ホッとしたらしく微笑して女の覆面を見下した。
「……俺の名前を知って来たんか」
 覆面が頭を強く振った。シクシクと泣出して、
「……すみまシェン。草鞋銭《わらじせん》に詰まって……」
 と云ううちに覆面を除《と》ると、最前の小女の青褪めた顔を現わしながら銀次の胸にバッタリと縋《すが》り付いた。シャクリ上げシャクリ上げ云った。
「……貴方《あんた》を見損なって……」
 銀次は月明りを透かして外を覗きながら何かしら冷やかに笑った。今一度、猿のように白い歯を剥き出した醜い表情をしたと思うと、片手で潜戸を締めて掛金をガッキリと掛けた。落ちていた四角い木片《きぎれ》で潜戸の穴を塞《ふさ》いだ。
 それから一時間ばかりの間、家の中には何の物音もしなかった。そのうちに二十分間ばかりラムプがアカアカと灯《つ》いていたようであったが、それもやがて消えてシインとしてしまった。
 月がグングンと西へ傾いた。
 方々で鶏《にわとり》が啼いて夜が明けて来た。

 突然、家の中からケタタマシイ叫び声が起った。魂消《たまげ》るような女の声で、
「……何すんのかア――イ……」
「………」
「アレッ……堪忍してエ――ッ」
「……………」
「……嘘|吐《つ》き嘘吐き。ええこの嘘吐き……エエッ。口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい……」
 という叫び声と一所にドタンバタンという組打ちの音が高まったが、それがピッタリと静まると、やがて表の板戸が一枚ガタガタと開いて、頬冠りをした銀次の姿が出て来た。銀次の背中には、細引でグルグル巻にして、黒い覆面で猿轡《さるぐつわ》をはめた小女を担《かつ》いでいたが、そのまま月の沈んだ薄あかりの道をスタスタと町の方へ急いだ。
 女は銀次の背中でグッタリとなっていた。

     
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