まに女になりました姿でおりますことを、まだ小さいうちからよく存じておりましたので御座います。
こう申し上げましただけでも、あなた様には私の申しますことが偽《いつわ》りで御座いませぬ証拠を、たやすくお気づき遊ばすで御座いましょう。そうして、すぐにも私を、血をわけた妹かと思し召して、どんなにか苦しみ遊ばすことで御座いましょう。
けれども、どうぞ御願いで御座いますから、お心をお鎮めになって、これから私が認《したた》めますことを、おしまいまで御覧下さいませ。
そう遊ばしたならば、あなた様と私とは、かように両親のみめ[#「みめ」に傍点]形《かたち》を取りかえた姿になっておりますままに、もしか致しますとその間には、何の血すじのつながりもあり得ませぬことをハッキリと証拠立てられるようにもなっております事が、追々《おいおい》とおわかりになるで御座いましょう。そうしてこのような不思議な御縁で、あなた様と結びつけられようと致しておりますことは、世にも忌《いま》わしい悪魔の所業なのか、それとも神様の尊い思し召しなのか、よくわかりませぬままに悩み悶えております私の心持ちも、一緒におわかりになるで御座いましょう。
私はあの演奏場で、あなた様のお顔をお見上げしますと同時に、兼《か》ねてから想像致しておりました、あなた様と私との運命にまつわる、かような不思議な悩ましさが、もう眼の前に押し迫っておりますことを、マザマザと思い知りましたので御座います。
御免遊ばせ。私はもう思いが乱れますばかりで、ただ取り止めもない事ばかり認めているようで御座います。
とは申せ、いずれに致しましてもこのような貴方様と私とにまつわる不思議な因縁がハッキリとわかりませぬうちは、たとい貴方様と私との思いが、どのようになりましょうとも、あなた様のお手にこの身をお委せすることは出来ませぬ。それよりも私の姿が貴方様方のお眼に止まりませぬうちに、この病気で亡くなりました方が、かえって貴方様のおためと存じまして、そればかりを祈っておりましたのに、あのようなことになりまして、私は演奏場からすぐに程近い綜合病院へ運ばれましたので御座いますが、その夜《よ》遅くに看護婦の隙《すき》を見て貴方様が、私の病室へお忍び下さいまして、あのようなお言葉をお洩らしになりました時の私の嬉しさと悲しさ……。
「その病気はキット僕がなおして上げる。君さえ承知してくれれば君は僕の妻だ。僕は生命《いのち》も何も要《い》らないのだから。その証拠にサア接吻を……接吻を………」
ああ。何という雄々《おお》しいお心で御座いましょう。何という御親切で御座いましょう。もし私があの時に気絶せずにおりましたならば、どのような事になっておりましたでしょうか。
やがて、ひとりでに気がつきました時に、私の唇や頬に残っておりました貴方様のほのめきのおなつかしかったこと。悲しゅう御座いましたこと……。
ああ。あの時に私は、どんなに泣きましたことか。何事も御存じないあなた様を、こんなにまでお苦しめ申し上げる私の罪深さ、運命の意地の悪さを、どのように怨み悶えて泣きましたことか。
そのうちに夜が明けかかりますと、私は附添の看護婦さんの寝息を見すまして起き上りまして、高い熱のためにフラフラ致しますのを構わずに、身のまわりのものを纏めて病院を脱け出しました。それから演奏の時に着ておりましたものの上に被布《ひふ》を羽織りましたまま汽車に乗りまして、故郷の九州福岡へ帰りました。そうして博多駅より二つ手前の筥崎《はこざき》駅で降りまして人目を忍びながら、私の氏神になっております博多の櫛田神社へ参詣致しまして、そこの絵馬堂《えまどう》に掲げてあります二枚の押絵《おしえ》の額ぶちに「お別れ」を致しました。
あなた様と私の運命にまつわっております不思議な秘密と申しますのは、その二枚の押絵の中に隠れているので御座います。私の背中と胸にあります突き疵《きず》と申しますのも、あなた様のお唇を安心してお受け出来ないようになりました原因と申しますのも、みんな、もとを申しますと、その二枚の押絵がした事なのでした。ですから私はその運命とお別れを致したいためにわざわざ九州まで参りましたので御座います。早かれ遅かれ助からぬ生命《いのち》と存じまして……。
けれど、その二枚の押絵をあおのいて見ておりますうちに私は何かしら、或る気高《けだか》い力に引き立てられて行くような気持ちになりました。
その中《うち》の一枚は八犬伝の一節で、犬塚信乃《いぬづかしの》と犬飼現八《いぬかいげんぱち》が芳流閣《ほうりゅうかく》の上で闘っておりますところで、今一つは阿古屋《あこや》の琴責《ことぜ》めの舞台面になっております。どちらも大きな硝子張りの額ぶちに入れてあります上から今|一重《ひとえ》、頑丈な金網で包まれて、絵馬堂の西の正面に並べられているので御座いますが、それを見上げておりますうちに、これは、もしかしたら、その押絵の中に籠《こ》もっております、貴方様と私との運命を包む神秘の力が、今一度新しく、私の心に働らきかけているのではないかしらと思いましたくらい、私の身うちがゾクゾクと致して参りまして、何かしら不思議なお酒に酔っているような気持ちになってしまったので御座いました。
その時ほどに運命の力というものをシミジミと嬉しく、楽しいものに感じましたことは私の一生のうちに一度も御座いませんでしたでしょう。
この世の中に運命でないものは一つもない。ですから私はこの病気で死ぬものときまってはいないでしょう。
もしかすると今一度、不思議と健康な身体《からだ》になって、あなた様にお眼にかかるような事がないとも限りませぬ。
そのような運命を知っておりますのはこの二つの押絵ばかり……その中でも、刀を振り上げている犬塚信乃と、琴を弾いている阿古屋の二人だけが、何もかもチャンと知っているので、その運命に、私のかよわい力が逆《さか》らおうとしても何の役に立ちましょう。
私はこうした運命の手に抱《いだ》かれて、貴方様のお傍に参りましょう。そうしてお懐かしいお胸に縋《すが》って、今までの事をスッカリお打ち明けして、心ゆくまで泣かして頂きましょう。
それが私のホントの運命なのでしょう。
こんなような、七八《ななや》つの子供が夢みますような、甘えた、安らかな気持ちになりまして、うつつともなくウトウトしながら上りの汽車に乗ったことで御座いました。
東京へ帰りつきますと、わざと、場末の名もないような小さな宿屋に泊りました。そうして前にも申上げましたように、そこであれから後《のち》の新聞を読んだので御座いますが、その記事の中でも、とりわけて身を責められました貴方様の御親切の程……それは私の肉体と心につき纏うております世にも恐ろしい、不思議な秘密のすべてを露《あら》わにしてお眼にかけましても、後《あと》へはお退《ひ》きになりそうに思われませぬお心のほどと、そのために急に重くおなり遊ばした御病気の事を承知致しますと同時に、あなた様と私との運命を支配致しております、あの押絵の神秘の力を、どのように空恐ろしく思い知りましたことでしょう。どのようにその新聞紙を抱《いだ》き締めて泣き濡れましたことでしょう。
そうして幾度思い返しましても、そうした運命にこの身を委せて、あなた様にお眼にかかって、この秘密をお打ち明けするよりほかに道はない。そうしたならば、あなた様と私の病気もおのずと癒《なお》ってしまうのかも知れない。イエイエ、あなた様と私とが、かように同じ病気にたおれましたのは、そうした眼に見えませぬ運命の手が、自分勝手にあなた様から離れて行こうと致しました私を、ぜひともお傍へ引きもどすための、不思議な親切からしてくれたことかも知れない……というような果敢《はか》ない、遣る瀬のない思いに胸をときめかせながら、いく度あなた様へ差上げるお手紙を書き直しましたことか。お恥かしい心と、つたない文章が気になりまして何枚ペーパを破り棄てましたことか。
とは申せ、そうした私の思いは、おおかた高い熱に浮かされておりました私の、まぼろしでしか御座いませんでしたでしょう。私は間もなく現実に目ざめなければなりませんでした。
そのようにして、いく度もいく度も貴方様に差し上げる手紙を書き直しておりますうちに、私はもう、もどかしくてもどかしくて堪えられないようになりました。すぐにも貴方様にお眼もじしなければ死んでしまいそうな思いに一パイになってしまいました。このままにお手紙を書いておりましたならば眼が眩《くら》んで、たおれるかも知れないと思うほど息苦しくなりましたので、すぐに宿の払いを済ましまして、他眼《ひとめ》をさけて、あなた様の御見舞に伺うつもりで、すこしばかりの手荷物を纏めかけたので御座いましたが、そのうちに博多で求めました灰色のブランケットを畳んでおりますと間もなく、私は又も、二度目の喀血を致しましたので御座います。
どうぞお許し下さいませ。
その時に私は、毛布の上に突伏《つっぷ》しながら、あなた様と私との運命が、みじめに打ちくだかれて行く姿をハッキリとまぼろしに見ました。青い青い、広い広い、大空か海かわかりませぬ清らかな、美しいものが、お互いに血をはきながらもシッカリと一ツに抱《いだ》き合っている、あなた様と私の身体《からだ》を吸い込もうとして、はるかの向うにピカピカと光りながら待っているのが見えました。そうしてあなた様と私とがズンズンとその方に吸い寄せられて行きますのが、何ともいえませず気持ちよく思われました。
けれども、そのまぼろしが消えますと、私は一生懸命の思いで、やっと気を取り直しました。そうして息も絶え絶えの思いを致しながら、血のあとを包み消しまして人力車に乗って、この北里先生の療養院に参りましたが、もう私の生命《いのち》はないものと存じまして、無理をしてはならぬという係りのお医者様のお言葉をお受けはしながら、この紙と鉛筆をソット寝床の下へ忍ばせまして、看護婦さんの隙《すき》を見てはお手紙を書いているので御座います。
この手紙をおしまいまで、お読みになりますれば貴方様は、すぐにあるタッタ一つの事を、お思い出しになるに違いないと思います。それはあなた様にとりまして何でもないほどに、よくおわかりになっていることかと思いますが、それをお思い出しになりさえすれば、すべての秘密を何の苦もなく解いておしまいになることと信じております。
いずれに致しましても、あなた様と私との間にまつわっております不思議な運命の謎を解いて頂けますお方は、この広い世の中に、あなた様お一人しかおいでにならないので御座います。私は唯、そのたった一つの事を、あなた様にお尋ね致したくてたまらぬ思いに責められながら、そうした勇気を出し得ませぬままに、今日まで生き永らえておったようなもので御座います。
とは思いながら、何から先に申し上げてよいやらわかりませぬ。この悩ましさをどう致しましょう。あせってもあせっても進みませぬこの筆のもどかしさをどう致しましょう。
ああ。私は、あなた様の、あの熱い涙のお言葉と、お口づけを一生の思い出としてあの世に旅立ってはわるいので御座いましょうか。
私はこの頃毎晩のようにあの押絵の夢ばかり見るので御座います。あの芳流閣の一番頂上の真青な屋根瓦の上に跨《またが》って、銀色の刀を振り上げております犬塚信乃の凜々《りり》しい姿や、厳《いか》めしい畠山重忠の前で琴を弾いております阿古屋《あこや》の、色のさめたしおらしい姿を、繰返し繰返し夢に見るので御座います。それにつれて私のお父様の顔や、お母様の顔や、または生れてから十二年の間に住まっておりました故郷の家の有様なぞが、幻燈《まぼろし》のように美しく、千切《ちぎ》れ千切れに見えて参ります。そうして眼が醒めますと、ちょうどその頃の子供心に立ち帰りましたような、甘いような、なつかしいような涙が、いつまでもいつまでも流れまして致しようがないので御座います。
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