話でした。
 その時のお母様のお喜びになった御様子は今でも眼に残っております。手を揉《も》み合せて顔を真赤にして、さも心配に眼を潤ませて、お父様の御返事を待っておいでになる物ごしが、まるで赤ん坊のようにイジラシク見えました。
 お父様は直ぐにお許しになりました。しかも大乗気の御様子で、
「奥(お母様のこと)はわしの顔を手本にしてこの三国志の人形を作ったのでナ」
 とその時の模様を大自慢でお話しになりましたので、お母様は恥かしがって真赤になったままお台所の方へ逃げておいでになりました。私もすぐにあとから追っかけて参いりましたが不思議なことにお母様は、いつの間にか青い顔におなりになって、台所の上り口に腰をかけてシクシク泣いておいでになりましたので私もビックリしました。そうしてどうなすったのかと思ってお傍へ行ってお顔を覗《のぞ》き込みますと、お母様はもう大きくなっている私の身体《からだ》を赤ん坊のように抱き寄せて、私の鼻のお化粧を鼻紙でお直しになりながら、
「私は錦絵さえいただけばお金なんか要《い》らんのに、お父様はいつまでも慾の深いことばかり仰有って………」
 と、さも口惜しそうに唇を噛んでホロホロと涙をお流しになりました。その時にお座敷の方から、お父様と柴忠さんの大きな笑い声が聞こえて来ましたので、私も急に悲しくなりましてお母様と抱き合って泣いたことを記憶《おぼ》えております。
 それから何日か経ちますと東京から大きなお菓子の箱みたようなものが、お母様のお名前で送って来ましたから、お父様が釘抜きと金槌で開いて御覧になるとどうでしょう。その中には錦絵が一パイに詰まっているのでは御座いませんか。
「まあ……これ……みんな絵ばかり……」
 と仰有って真青になったまま口紅の処を押えておいでになるお母様の小指がワナワナとふるえていたのを私はハッキリとおぼえております。
 その錦絵の美しかったこと……そうしてその紙と絵の具の匂いの何ともいえずなつかしう御座いましたこと……ちょうど夏になり口で十畳のお座敷のお縁が一パイに明け放してありましたが散り拡がった錦絵の色と香《にお》いで、そこいら中が明るくなったように思いました。まずお父様が御覧になった絵を私が見てお母様にお渡しするのでしたが、三人共申し合わせたように溜め息をしては褒め、ほめては溜め息をしておりますうちに、ついお昼の御飯をい
前へ 次へ
全64ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング