いておりました血の滴《したた》りを思い出しまして、ともすると私の心は物狂おしくなるので御座いました。
 そんな物思いをくり返しくり返し致しておりますうちに、あなたのお父様のお心がお兄様のお姿となって、あらわれておりますのと同じように、私のお母様の思いが私のミメカタチとなってこの世に残っておりますことは、もう疑うことが出来なくなりました。そうして、あなたのお父様と私のお母様が、死ぬまでお隠しになった恋が、お兄様と私とによって顔容《かおかたち》を入れ違えたままに遂げられなければならぬ運命が一刻一刻とさし迫って来ておりますことを、私は毎日毎日ハッキリと感ずるようになって参りました。

 ああ。私は、どう致したらよろしいので御座いましょう。
 世間では私をあなたのお父様のお血すじを引いたものと信じ切っているので御座います。もしお兄様と私とが御一緒になるような事になりましたならば、世間の人は何と云うで御座いましょう。キットあの忌《いま》わしい兄妹《きょうだい》の恋として、そのままには許さないで御座いましょう。
 お兄様と私とがホントの兄妹でないという証拠に、あの古い書物のお話を例に引きましても信じて下さる方が何人居られるでしょう。
 又は櫛田神社の絵馬堂にかかっております二つの押絵の人形が何の証拠になりましょう。却《かえ》ってお兄様と私とを世にも咀《のろ》われた男女にしてしまう役にしか立たないで御座いましょう。
 そればかりでなく、その時の私にはこんな事も考えられたので御座いました。
 お兄様はホントウはもうズット前から、お父様にこのお話をお聞きになっているのではないかしら……この事については私よりもずっと詳しく御存じなので、それを表向きには隠しておいでになりながら、お心の中《うち》ではやっぱり私と同じような思いに悩んでおいでになるのではないかしら。女嫌いという評判を平気で立て通しておいでになりますのも、そんなお心もちから出たことで、ホントウは人知れず、私の事を思っておいでになるのではないかしら……私の事をいろいろとお探りになっているのではないかしら……。
 そうして万に一つお兄様が私をお見つけになりました時に、殿方の気強いお心から、そんなことはちっとも構わぬと仰有って、直ぐにも只今の御名誉地位をお振り棄てになって私を救いにお出でになるようなことがありはしまいかしら……。
 
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