るくらい意識していた。だから副院長に話したら訳なく見せてもらえるであろう自分の足の標本を、わざわざ人目を忍んで見に来た位であったが、しかし、そうした私の行動がイクラ滑稽《こっけい》に見えたにしても、私自身にとっては決して、笑い事ではないのであった。この不景気のさ[#「さ」に傍点]中《なか》に、妹と二人切りで、利子の薄い、限られた貯金を使って、ドウデモコウデモ学校を卒業しなければならないという、兄らしい意識で、いつも一パイに緊張して来た私は、もう自分ながら同情に堪《た》えないくらい神経過敏になり切っていた。妹に話したら噴《ふ》き出すかも知れないほど、臆病者になり切っていたのであった。それはもうこの時既に、逸早《いちはや》く私の心理に蔽《おお》いかかっていた、片輪者《かたわもの》らしいヒガミ根性のせいであったかも知れないけれども……。
そう思い思い私は、変り果てた姿で、高い処に上がっている自分の足を見上げて、今一つホーッと溜息をした。
その溜息はホントウの意味で「一足お先《さ》きに」失敬した自分の足の行方を、眼の前に見届けた安心そのもののあらわれに外《ほか》ならなかった。同時に、これからは断然足の夢を見まい……両脚のある時と同様に、快活に元気よくしよう……片輪者のヒガミ根性なぞを、ミジンも見せないようにして、他人《ひと》様に対しよう……放ったらかしていた勉強もポツポツ始めよう。そうして妹に安心させよう……と心の底で固く固く誓い固めた溜め息でもあった。
私はアンマリ長い事あおむいて首が痛くなったので、頭をガックリとうつ向けて頸《くび》の骨を休めた。そのついでに、足下の棚の低い瓶の中に眠っている赤ん坊が、額《ひたい》の中央から鼻の下まで切り割られた痕《あと》を、太い麻糸でブツブツに縫い合わせられたまま、奇妙な泣き笑いみたような表情を凝固させているのを見返りながら、ソロソロと入口の扉《ドア》の前に引返《ひっかえ》した。そこで耳を澄まして扉《ドア》を開くと、幸い誰も居ない様子なので、大急ぎで廊下へ出た。そうして元来た道とは反対に、賄場《まかないば》の前の狭い廊下から、近道伝いに自分の室《へや》に帰ると、急にガッカリして寝台の上に這い上った。枕元に松葉杖を立てかけたまま、手足を投げ出して引っくり返ってしまった。
久しく身体《からだ》を使わなかったせいか、僅かばかりの散歩のうちに非常に疲れてしまったらしい。私は思わずグッスリと眠ってしまった。しかし余り長く眠ったようにも思わないうちに眼を醒ますと、いつの間にか日が暮れていて、窓の外には青い月影が映っている。その光りで室《へや》の中も薄明《うすあか》くなっているが、青木はまだ帰っていないらしく、夜具を畳んだままの寝台の上に、私の松葉杖が二本とも並べて投げ出してある。大方、私が眠っているうちに看護婦が来て、室《へや》の掃除をしたものであろう。
いったい何時頃かしらんと思って、枕元の腕時計を月あかりに透かしてみると驚いた……四時をすこしまわっている。恐ろしくよく寝たものだ。ことによると時計が違っているのかも知れないが、それにしても病院中が森閑《しんかん》となっているのだから、真夜中には違い無いであろう。とにかく用を足して本当に寝る事にしようと思い思い、もう一度窓の外を振り返ると、その時にタッタ今まで真暗《まっくら》であった窓の向うの特等病室の電燈が、真白に輝き出しているのに気が付いた。こっちの窓一パイに乱れかかっているエニシダの枝|越《ごし》に、白いドローンウォークの花模様が、青紫色の光明を反射さしているのがトテモ眩《まぶ》しくて美しかった。
私はその美しさに心を惹かるるともなく、ボンヤリと見惚《みと》れていたが、そのうちに又、奇妙な事に気が付いた。
気のせいか知れないけれども、病院中がヒッソリと寝鎮《ねしず》まっている中に、玄関の方向から特等室の前の廊下へかけては、何かしらバタバタと足音がしているようである。そう思って見ると、その特等室の眩《まぶ》しい電燈の光りまでもブルブルと震えているようで、人影は見えないけれども室《へや》の中まで何かしら混雑しているらしい気はいが感じられるようである。……もしかしたら歌原未亡人の容態が変ったのかも知れない……と思ううちに、どこか遠くからケタタマしく自動車の警笛《サイレン》が聞えて、素晴らしい速度《スピード》でグングンこっちへ近付いて来た。そうして間もなく病院の前の曲り角で、二三度ブーブーと鳴らしながらピッタリと止まった。……と思って見ているうちに、今度は特等室の電燈がパッと消えた。ドローンウォークの花模様のネガチブをハッキリと、私の網膜に残したまま……。
その瞬間に……サテは歌原未亡人が死んだのだな……と私は直覚した。そうして……タッタ今死体
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