鉢が、幾つも並んでいるのが不思議と仰有《おっしゃ》るのでしょう」
「……そ……その通りその通り……千里眼千里眼……尤《もっと》もチューリップはここから見えませんがね。あれは一体どなた様が御入院遊ばしたのですか」
「あれはね……」
と看護婦は、急にニヤニヤ笑い出しながら引返《ひっかえ》して来た。真赤な唇をユの字型に歪《ゆが》めて私の寝台の端に腰をかけた。
「あれはね……青木さんがビックリする人よ」
「ヘエ――ッ。あっしの昔なじみか何かで……」
「プッ。馬鹿ねアンタは……乗り出して来たって駄目よ。そんな安っぽい人じゃないのよ」
「オヤオヤ……ガッカリ……」
「それあトテモ素敵な別嬪《べっぴん》さんですよ。ホホホホホ……。青木さん……見たいでしょう」
「聞いただけでもゾ――ッとするね。どっかの筥入娘《はこいりむすめ》か何か……」
「イイエ。どうしてどうして。そんなありふれた御連中じゃないの」
「……そ……それじゃどこかの病院の看護婦さんか何か……」
「……プーッ……馬鹿にしちゃ嫌《いや》よ。勿体《もったい》なくも歌原男爵の未亡人《びぼうじん》様よ」
「ゲ――ッ……あの千万長者の……」
「ホラ御覧なさい。ビックリするでしょう。ホッホッホ。あの人が昨夜《ゆんべ》入院した時の騒ぎったらなかってよ。何しろ歌原商事会社の社長さんで、不景気知らずの千万長者で、女盛りの未亡人で、新聞でも大評判の吸血鬼《バンパイア》と来ているんですからね」
「ウ――ン。それが又何だってコンナ処へ……」
「エエ。それが又大変なのよ。何でもね。昨日《きのう》の特急で、神戸の港に着いている外国人の処へ取引に行きかけた途中で、まだ国府津《こうづ》に着かないうちに、藤沢あたりから左のお乳が痛み出したっていうの……それでお附きの医者に見せると、乳癌《にゅうがん》かも知れないと云ったもんだから、すぐに自動車で東京に引返して、旅支度《たびじたく》のまんま当病院《ここ》へ入院したって云うのよ」
「フ――ン。それじゃ昨夜《ゆんべ》の夜中だな」
「そうよ。十二時近くだったでしょう。ちょうど院長さんがこの間から、肺炎で寝ていらっしゃるので、副院長さんが代りに診察したら、やっぱし乳癌に違いなかったの。おまけに痛んで仕様《しよう》がないもんだから、副院長さんの執刀で今朝《けさ》早く手術しちゃったのよ。バンカインの局部麻酔が利かないので、トウトウ全身麻酔にしちゃったけど、それあ綺麗な肌だったのよ。手入れも届いているんでしょうけど……副院長さんが真白いお乳に、ズブリとメスを刺した時には、妾《わたし》、眼が眩《くら》むような思いをしたわよ、乳癌ぐらいの手術だったら、いつも平気で見ていたんだけど……美しい人はやっぱし得ね。同情されるから……」
「フ――ム、大したもんだな。ちっとも知らなかった。ウ――ム」
「アラ。唸《うな》っているわよこの人は……イヤアね。ホホホホホホ」
「唸りゃしないよ。感心しているんだ」
「だって手術を見もしないのにサア……」
「一体|幾歳《いくつ》なんだえその人は……」
「オホホホホホ。もう四十四五でしょうよ。だけどウッカリすると二十代ぐらいに見えそうよ。指の先までお化粧をしているから……」
「ヘエ――ッ。指の先まで……贅沢だな」
「贅沢じゃないわよ。上流の人はみんなそうよ。おまけに男妾《おとこめかけ》だの、若い燕《つばめ》だのがワンサ取り巻いているんですもの……」
「呆《あき》れたもんだナ。そんなのを連れて入院したんかい」
「……まさか……。そんな事が出来るもんですか。現在《いま》附き添っているのは年老《としと》った女中頭が一人と、赤十字から来た看護婦が二人と、都合四人キリよ」
「でもお見舞人で一パイだろう」
「イイエ。玄関に書生さんが二人、今朝《けさ》早くから頑張っていて、専務取締とかいう頭の禿《はげ》た紳士のほかは、みんな玄関払いにしているから、病室の中は静かなもんよ。それでも自動車が後から後から押しかけて来て、立派な紳士が入れ代り立ち代り、名刺を置いては帰って行くの」
「フ――ン、豪気なもんだナ。ソ――ッと病室を覗くわけには行かないかナ」
「駄目よ。トテモ。妾《わたし》達でさえ這入れないんですもの………。あの室に這入れるのは副院長さんだけよ」
「何だってソンナに用心するんだろう」
「それがね……それが泥棒の用心らしいから癪《しゃく》に障《さわ》るじゃないの。威張っているだけでも沢山なのにサア」
「ウ――ム。シコタマ持ち込んでいるんだな」
「そうよ。何しろ旅支度のまんまで入院したんだから、宝石だけでも大変なもんですってサア」
「そんな物あ病院の金庫に入れとけあいいのに……」
「それがね。あの歌原未亡人っていうのは、日本でも指折りの宝石キチガイでね。世界でも珍らしい上等の
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