れが私の神経組織の中に遺伝していないとは、誰が保証出来よう。しかも、その遺伝した病癖が、今朝《けさ》みたような「足の夢」に刺戟《しげき》されて、極度に大きく夢遊し現われるような事があったら、それこそ大変である。否々《いないな》……今朝《けさ》から、あんな変テコな夢に魘《うな》されて、同室の患者に怪しまれるような声を立てたり、妙な動作をしたりしたところを見ると、将来そんな心配が無いとは、どうして云えよう。天にも地にもタッタ一人の妹に心配をかけるばかりでなく、両親がやっとの思いで残してくれた、無けなしの学費を、この上に喰い込むような事があったら、どうしよう。
私は今後絶対に足の夢を見ないようにしなければならぬ。私は自分の右足が無いという事を、寝た間《ま》も忘れないようにしなければならぬ義務がある。
それには取りあえず標本室に行って、自分の右足が立派な標本になっているソノ姿を、徹底的にハッキリと頭に印象づけておくのが一番であろう。
「貴方の足に出来ている肉腫は珍らしい大きなものですが……当病院の標本に頂戴出来ませんでしょうか。無論お名前なぞは書きませぬ。ただ御年齢《おとし》と病歴だけ書かして頂くのですが、如何《いかが》でしょうか……イヤ。大きに有り難う。それでは……」
と院長が頭を下げて、特に手術料を負けてくれた位だから、キット標本室に置いて在るに違い無い。その自分の右足が、巨大な硝子筒《がらすとう》の中にピッタリと封じ籠《こ》められて、強烈な薬液の中に涵《ひた》されて、漂白されて、コチンコチンに凝固させられたまま、確かに、標本室の一隅に蔵《しま》い込まれているに相違無い事を、潜在意識のドン底まで印象させておいたならば、それ以上に有効な足の幽霊封じ[#「足の幽霊封じ」に傍点]は無いであろう。それに上越《うえこ》す精神的な「足禁《あしど》め」の方法は無いであろう。
こう決心すると私は矢も楯《たて》もたまらなくなって、同室の青木が外出するのを今か今かと待っていたのであった。そうしてヤット今、その目的を遂《と》げたのであった。果して足の幽霊封じ[#「足の幽霊封じ」に傍点]に有効かドウカは別として……。
私のこうした心配は局外者から見たら、どんなにか馬鹿馬鹿しい限りであろう。あんまり神経過敏になり過ぎていると云って、笑われるに違い無いであろう事を、私自身にも意識し過ぎ
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