んな夢中遊行を起す例は、大抵そんな遺伝性を持っている人に限られている筈です。殊に新東君なぞは、立派な教養を持っておられるんですから、そんな御心配は御無用ですよ。ハッハッハッ。まあお大切になさい。体力が恢復すれば、神経衰弱も治るのですから……」
 副院長はコンナ固くるしいお世辞を云って、自分の饒舌《しゃべ》り過ぎを取り繕《つくろ》いつつ、気取った態度で出て行った。
 私はホッとしながら毛布にもぐり込んだ。徹底的にタタキ付けられた時と同様の残酷《みじめ》さを感じながら……。

       二

 午食《ごしょく》が済むと、青木が寝台の隅で、シャツ一貫になって、重たい義足のバンドを肩から斜《はす》かいに吊り着けた。その上からメリヤスのズボンを穿《は》いて、新しい紺飛白《こんがすり》の袷《あわせ》を着ると、義足の爪先にスリッパを冠せてやりながら、大ニコニコでお辞儀をした。
「それじゃ出かけて参ります。今夜は片っ方の足が、どこかへ引っかかるかも知れませんが、ソン時は宜《よろ》しくお頼み申しますよ。アハハハハハ。お妹さんのお好きな紅梅焼を買って来て上げますからナ。ワハハハハ」
 と訳のわからない事を喋舌《しゃべ》って噪《はし》ゃいでいるうちに、ゴトンゴトンと音を立てて出て行った。
 青木の足音が聞えなくなると私もムックリ起き上った。タオル寝巻を脱いで、メリヤスのシャツを着て、その上から洗い立ての浴衣《ゆかた》を引っかけた。最前看護婦が、枕元に立てかけて行った、病院|備《そな》え付《つけ》の白木の松葉杖を左右に突っ張って、キマリわるわる廊下に出てみた。
 云う迄もなく、コンナ姿をして人中に出るのは、生れて始めての経験であった。だから扉《ドア》を締めがけに、片っ方の松葉杖の所置に困った時には、思わず胸がドキドキして、顔がカッカと熱くなるように思ったが、幸い廊下には誰も居なかったので、十歩も歩かないうちに、気持がスッカリ落ち着いて来た。
 私は生れ付きの瘠《や》せっぽちで、身軽く出来ている上に、ランニングの練習で身体《からだ》のコナシを鍛え上げていたので、松葉杖の呼吸を呑み込むくらい何でもなかった。敷詰《しきつ》めた棕梠《しゅろ》のマットの上を、片足で二十歩ばかりも漕《こ》いで行って、病院のまん中を通る大廊下に出た時には、もう片っ方の松葉杖が邪魔になるような気がしたくらい、調子よく
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