んでしたし、どこの人種だかも解りませんでしたので、両親に会いたい事は会いたかったのですが、探す当てが全くなかったのです。……ですけども解らない事を考えるのは、小ちゃい時から好きでしたので、暇さえあれば亜米利加《アメリカ》の新聞を読んで、色んな犯罪事件を研究するのを楽しみにしていたのですが、そのうちに最前《さっき》お話ししましたような事から、思いがけなく日本の新聞が手に入りまして、その記事が眼に付きますと、父親の事とは夢にも知りませぬまま、色々と研究しておりますうちに、非常に面白い事件に見えまして、そのために日本に来て見たくて来て見たくてたまらなくなりました。その新聞記事と実際とを照し合わせて、僕の想像が当っているかどうか試してみたくて仕様がなくなったのです。……ところがその中に東部亜米利加から欧羅巴《ヨーロッパ》の方を興行しておりましたバード・ストーン曲馬団が、戦争のために欧羅巴へ行けなくなって、東洋方面へ廻る事になった。そのために高給《たか》い給料で新しい演技者を雇い入れているが、一緒に行かないかと云って、同じ下宿に居たコック上りの露西亜《ロシア》人が誘いましたので、すぐに加入の約束をしてしまったのです。そうして日本へ来るとすぐに、僕の想像を実験してみたらすっかり当っている事がわかったばかりでなく、永い間気になっていた自分の両親の名前を思いがけなく探し出す事が出来たのです」
 少年は感慨深く言葉を切った。しかし私は机に両肘を張ったまま、云うべき言葉を発見し得なかった。二三度|唾液《つば》を呑み込んでから辛うじて、
「……それは……どうして……」
 と呟いたきりであった。
 しかし少年はやはり眼を伏せたまま、淋しそうに言葉を続けた。
「……僕は日本に着いて散歩を許されるとすぐに、あのステーション・ホテルへ行って、十四号室を泊らないなりに一週間の約束で借りきってしまったのです。そうしてホテルのボーイや支配人に二年前の出来事の模様を出来るだけ詳しく話してもらいまして、あの室《へや》の寝台から室《へや》の飾り付までちっとも変っていない事を確かめてから、あの寝台の上に父が死んだ時の通りに寝てみたのです」
「どうして……」
 と私は又おなじ言葉をくり返した。
「……どうって訳はないんですけど……あの時の死状《しにかた》が、新聞に書いてある通りだと、何だか変テコでしようがなかったもんですから、何かしら父の死状《しにかた》には秘密があるのじゃないかしらんと思ってそうしてみたんです。窓を開け放しにしておいて、寝台の上に南を枕に西向きに寝て、眼を一ぱいに開いて窓の外を見たのです。……そうしたら……」
「そうしたら……」
「そうしたら、どうやら訳がわかって来たような気がしたんです」
「……どんな訳……」
「あの窓から普通《あたりまえ》の姿勢で眺めますと、宮城と海上ビルデングと、今、バード・ストーン一座が興行をしている草ッ原が見えます」
「……見える……」
「……けれども父が死んだ時の通りにして見ますと、そんなものが窓の下に隠れて、一つも見えなくなります。ただ青い空と、それから駅の前の広ッ場《ぱ》の真中にたった一本突立っている高い高い木の梢がほんのちょっぴり見えるだけなんです。何の樹かわかりませんけども……」
「……………」
「その時に僕は思い出したんです。この新聞記事によりますと、父は自分で襯衣《シャツ》を切り破って、毒薬を注射して、あとから外套を着て靴を穿《は》いて寝たに違いないのですが、その両方の掌《てのひら》と、外套の袖口と、靴と膝の処が泥だらけになっていたと書いてあるでしょう」
「……それは……酔っ払って……転んだものと……」
「……ですけども……僕はそうじゃないかも知れないと思ったんです。……ですからその晩になって夜が更けてから、こっそりと帝国ホテルを脱け出して、あの木の下に来てみたら、大きな四角い石ころが一個《ひとつ》、拡がった根っ子の間に転がっておりました。僕がやっと抱え除《の》けた位の大きさですが、まだあそこに転がっております。その石の下を覗いてみたらすぐに見つかりました。土の中から、こんなものが一|寸《すん》ほど頭を出しておりました。大方雨に洗い出されたのだろうと思いますが……」
 私はもう口を利く事が出来なかった。黙って椅子から立ち上って、少年が差し出した長さ三寸程の鉛の管《くだ》を受取った。それは両端を打ち潰して封じてある一方をこじ明けたもので、中からは白い紙の端が覗いている。引き出して見ると、それは二枚の名刺で、その中の一枚は、

   弁護士 藤波堅策[#中文字]
    東京市麹町区内幸町一丁目二番地[#小文字]
            電話 二二七三[#小文字]

 という一流弁護士のもので、もう一枚はペン字で書き込みをした故志村浩太郎氏の名刺であった。

   藤波堅策兄[#中文字]
      志村浩太郎印[#「印」は○付き文字][#中文字]
    この名刺持参人に御保管の書類を
    お渡し被下度候《くだされたくそうろう》

「この名刺を探し出すまでは何でもなかったんです。……ですけども誰にも気付かれないようにこの名刺を持って藤波さんの処へ行くのがとても大変でした。それは日本に着いてから、私のそぶりが何だか落ち着かないのを怪しまれたのでしょう。団長と、その部下の二三人がそれとなく私を警戒し初めましたので困ってしまいましたが、そのうちにやっと昨日《きのう》の夕方、隙《すき》を見付けて藤波さんの処へ行ってこの名刺をお眼にかけますと、藤波さんは私を一目見るなりびっくりなすって、これは驚いた。ノブ子さんの若い時にそっくりだ。どうして来たと云われましたので、私もびっくりしてしまいました。それから生れて初めて日本のお座敷に坐りまして御親切な奥様や大勢のお嬢様たちと一緒にお寿司を御馳走になりながら、色々と藤波さんのお話を聞きましたが、私の両親は亜米利加《アメリカ》に居るうちに、ローサンゼルスで、雑貨店を開きながら法律を勉強しておられた藤波さんと非常に御懇意に願っていたのだそうです。……ですから父は藤波さんに一万円のお金を預けまして、亜米利加の友人たちに私の行方を探してくれるように頼んでおりましたので、まだほかに二万円のお金を預けたままにしている。それは父の預けた書類の中《うち》に書いてある人に渡してくれと固く約束してあったのですが、それから後《のち》、志村君からはばったり便りがなくなったし、預かった書類を取りに来る人もないので変に思って、鎌倉の材木座の住所を探してみたら、そんな人間は最初から居なかった事が判明《わか》ったので、困っている……との事でした。そのお話を聞きますと、藤波さんは父が死んだ事や母の行方なぞはちっとも御存じない様子でしたので、私から詳しくお話しましたら、奥様やお嬢様たちは皆泣いて同情して下さいました。それから藤波さんは書類を見るのならば家《うち》で見てもいいぞと云われましたが、私はちょっと考えまして、いずれもう一度伺いたいと思いますからと云って、書類だけ頂いて帰って来ました」
 そう云ううちに少年は、傍《かたわら》の椅子の上に置いた雨外套の内ポケットの釦《ボタン》を外して、大きな茶色の封筒を取り出して、私の前に差出した。
 私はいつの間にか棒立ちになっていた。依然として無言のまま、感心も、驚きも、又は面目なさも通り越した厳粛な気持になって、その封筒を受取る器械みたように受取って、検《あらた》める器械みたように検めた。中味の書類はフールスカップの半帳を綴じたもので、ノート風の横書の文字がびっしりと詰まっているが、二年の時日が経過しているので、インキの色がいくらか変っている。それを拡げて見ると中から志村浩太郎氏の写真入りの古ぼけた旅行免状が一通出て来た。
「僕は……それを見てから、昨夜《ゆうべ》じゅう夜通し眠られなかったんです。そうして今朝《けさ》すこしばかり眠って、眼が醒めるとすぐに曲馬団を飛び出して来たんです。……もう……我慢……出来なくなっちゃって……」
 少年の声は急に曇った。ハンカチで顔を蔽うと同時に肩をすぼめて戦《おのの》かしながら、机の上に突伏した。
 私は廻転椅子の中にどっかりと落ち込んだ。そうして忍び泣く少年の姿を見ないように横向きになったまま、わななく指で第一頁を開いた。

   警視庁 第一捜索課長
   狭山九郎太氏 足下
     千葉県夷隅郡上野村字中島五百六十四番地[#地付き、地より3字アキ]
     士族 戸主 志村浩太郎 印[#地付き、地より3字アキ]
     明治十七年九月二日生[#地付き、地より3字アキ]
[#上記、1、2行目と4行目の「志村浩太郎 印」は中文字、それ以外は小文字。4行目「印」は○付き文字]

 小生は右の通り貴下と一面識もなき、一介の米国移住民であります。ですから左《さ》に申述べますような事を貴下に御依頼致しますのは非常な失礼で、且つ僭越である事を、深く自省致しておる者であります。しかし小生は小生の自殺に就いて、一度は必ず貴下のお手数を煩わすに違いないであろう。そうしてそのような事情に立ち到りましたならば、貴下は必ずや小生の死状及び、自殺の原因について深い疑問を抱かれるでありましょう。そうして今日迄、幾多の難事件を解決されました場合と同様に、貴下は事件の根本的原因に対して、単身、極秘密の研究調査を遂げられるでありましょう。しかもそのような事に相成りますれば、第一にこの遺書を発見して下さるお方は、失礼ながら貴下以外の何人でもあり得ない。又、小生の死後、妻ノブ子と、愛児嬢次の保護をお頼み申上ぐる程のお方も亦《また》、御迷惑ながら天下に唯、貴下お一人しかおいでにならない事を、深く深く確信致している者であります。

 何をお隠し申しましょう。小生はついこの数週間前まで、米国の黄金帝国主義の手先となって、世界の平和を攪乱する目的の下に組織された、極悪無頼漢の一団体、J・I・C秘密結社の西部首領の地位におった者であります。
 この団体の怖るべき内容に就いては、最早御承知の事とは思いますけれども、御参考のために、後程、概要を申述べたい考えでありますが、小生は最近に至りまして、或る動機から、今までの非行を恥じまして、この団体に属して売国的行為を続くるに忍びず、日本民族存立のため、断然、この団体を裏切り脱退するに決し、秘密裡に財産を纏《まと》めて日本に渡来し、去る九日夜、外務省機密局長M男爵閣下にお眼にかかりまして、J・I・C結社の暗号十二種(中には米国機密局にて使用中のもの二三あり)と、日本内地に散在するJ・I・C団員の名簿と小生の旅行免状とを提出し、然るべき御処置を伏願致しますと同時に、未練な申状《もうしじょう》ではありますが、妻と愛児の身上に就き特別の御寛典を仰ぎたく懇願するところがありました。
 然るにM男爵閣下には小生のかような窮状を見て呵々《かか》大笑されました。そうして小生の旅行免状を返却されながら次の如く訓戒をされました。
「……お前を悔悟せしめたその純乎《じゅんこ》たる大和民族の血を以《もっ》て、今後、国家のために報恩的の奉仕をせよ。お前の妻ノブ子の行為は疾《と》くに察知していたところであるが、余等《よら》は逆に彼女の手を利用し、虚偽の暗号電報を彼女に盗読せしめて、J・I・Cを通じて彼女の手を利用している米国政府を欺瞞していたものである。彼女は要するに頭のいい婦人の通弊として主義理想に走り過ぎたために、このような奸悪手段の手先に利用せられて、売国行為をさせらるるに至ったもので、決して彼女を悪人と云う事は出来ないと思う。さればお前達親子三人の生命は勿論、不問に附せらるべきもので、もとより外務省の関知するところではない。これを表沙汰にしても無用の反感と物笑いを招くばかりである。真の外交手段と云う事は出来ないであろう」
 と云われまして再び呵々大笑されました。
 この大笑の前にひれ伏した小生は、頭髪が一時に逆立ちました。
 J・I・C
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