仕事を一応聞き取った私は、やっと隣の室《へや》に這入《はい》って、熱海検事以下数名立会の上で、もう一度岩形氏の変死体を検査する段取りになった
 その検査の結果は大要|左《さ》の通りである。むろんこの記述は前の記述と重複するところが少なくないのであるが、この紳士の死状、その他の外表的徴候は、ずっと後《のち》までもこの事件と、呉井嬢次と名乗る怪少年に関する重大な秘密の扉を、順々に開いて行く鍵になっているのだから、念のために記憶に残っている中《うち》で必要と認める全部を、初めから繰返して箇条書にしておく。その中《うち》でも特に注意を要する諸点(中には私が何の気も付かずに見のがしていて、あとで大失策を演じてから、やっと気が付いたようなデリケートの事実もある)には一々黒点を施して、これを参考にして行けば岩形氏の変死に関する秘密が、裏から裏へと解けて行くようにしておいた。

   岩形氏の死状[#ゴシック体]

 ◆屍体が発見された場所 東京駅ステーション・ホテル第十四号特別寝室。
 ◆死亡推定時間 大正七年十月十四日午前零時前後。
 ◆屍体発見当時の室内の状況 電燈は点けたまま。窓も明け放したまま[#「窓も明け放したまま」に傍点]であるが、そこから何者かが出入りした形跡は無い。ただ窓枠の上下際に岩形氏の泥の指痕《ゆびあと》が附着しているのみ。なお、スチーム暖房は止めてある。
 ◆屍体の外見状況 帽子は栓をした小瓶や注射器と一緒に、枕元に正しく置いてある。そうして泥靴を穿いて、右手の袖口を泥まみれにした外套と上衣を着て膝の処を左右とも泥だらけにしたズボンを穿いて[#「右手の袖口を」から「ズボンを穿いて」まで傍点]、南を枕にして、左手を下に[#「左手を下に」に傍点]敷いた西向きに横臥し、眼を一ぱいに見開いて、窓の外を凝視したまま[#「窓の外を凝視したまま」に傍点]死んでいる。そのワイシャツと、その下のラクダの襯衣《シャツ》は両方とも、同じ左腕[#「左腕」に傍点]上膊部を二枚重ねて横に三寸程|鋏様《はさみよう》のもので截《き》り裂いてあって、そこから注射をした痕は、絆創膏《ばんそうこう》を貼ってないために、淡《うす》い血と淋巴《りんぱ》液が襯衣《シャツ》の裏面に粘り付いている。

   容貌と体格[#ゴシック体]

 ◆容貌 蒙古人種《モンゴリアン》系の大きな顔で、赤味がかった頭髪
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