も純然たる町外れで、時たま自動車が走ると犬が吠え付くという情ない状態であったから、今の人達に話したら本当にしない人が出て来るかも知れないと思う。
だからその当時まで私が奉職していた警視庁の仕事ぶりなぞも、殆《ほと》んど明治時代と択《えら》ぶところがなかった。上《かみ》は総監から下《しも》は巡査刑事に至るまで一人残らず旧式の拷問応用の見込捜索ばかりを、飽きもせずに繰り返していたものである。もっとも明治四十一年に私が立案した方針で設置された鑑識課なるものが在るにはあったが、その機能を本式に使って、本格の推理的な探偵捜索を進め得るものは、自慢ではないがやっと私と、私が仕込んだ二三名の若い部下ぐらいのものであった。
ところが、そうした私の苦心努力の結果私が退職の二三年前に有名な外交文書の紛失事件と、評判の迷宮殺人事件を解決してから、やっとこの鑑識課の仕事が認められて来る段になると、今度は日本人の特徴として一も鑑識、二も鑑識と鑑識万能の時代になって来た。早い話が新聞社の連中でも「目下捜索中」と云った位ではなかなか承知しないが「目下鑑識課で調査中」と云えば「成る程|左様《さよう》ですか」と敬意を表して引き退《さが》る状態で、刑事なんかは何の役にも立たないように考えられる時代が来た。
ところが又そうなると私の癖かも知れないが、すっかり鑑識課の仕事を馬鹿にしてしまって、ほんの参考程度の役にしか立たないものと見限《みき》りを附けるような頭の傾向になっていた。従ってこの「暗黒公使《ダーク・ミニスター》」事件でも、私は殆んど鑑識課の仕事を度外視しているように見えるかも知れない。同時に私の行動が如何《いか》にも旧式な、精力主義一方の探偵方針で働いているように見えるかも知れないが、これは止むを得ない……ただ賢明なる読者諸君の批判に訴えるより外に仕方がないと諦めている。
しかし強《し》いて云い訳をすれば出来ない事もない。
元来探偵事件の興味の中心が、その犯罪手段や探偵方針のハイカラかハイカラでないかに繋《かか》っているものでない事は、一八〇〇年時代の探偵記録や裁判|聞書《ききがき》が、依然として現代の巴里尖端人《パリジャン》に喜ばれている事実に照しても一目瞭然で、私がこれから述べようとする「暗黒公使《ダーク・ミニスター》事件」の興味も、そんな[#「そんな」は底本では「そん」と誤記]点
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