件は、第二回の暗黒公使事件に参考すべき予備知識として、必要欠くべからざる重大事項であると同時に、私がJ・I・C秘密結社の内容を真剣に研究し初めた、その最初の動機になっているのだから止むを得ない。ここにすべてを打ち明けて、私の失敗に関する裏面の消息を明かにしておきたいと思う。
以上の事実をそれから間もない正八時に登庁して、電話で聴き取った私が、迎えの自動車で現場に到着したのは、岩形氏の屍体が発見されてから約一時間半の後《のち》であったが、ホテルの玄関まで出迎えた部下の二刑事と連れ立って十四号室の前まで来る間に、そこここの室《へや》から、男や女の顔がいくつも出たり引っ込んだりした。皆、今朝《けさ》の出来事を耳にしているらしく、脅えたような眼付きをしていたが、私はそんなものには眼もくれずに、まだ扉《ドア》を閉じて寝ているらしい室《へや》の番号だけを記憶に止めた。一寸《ちょっと》した注意であるが同宿の者の中《うち》に犯人があって、自分が殺しておきながら知らん顔をして寝ていたという実例が数え切れない程ある。そんな疑いのある者は喚び起して眼の球《たま》を見れば亢奮して充血しているのか、睡眠不足で充血しているのか、又は、酒のためか、病気のためか、それとも本当に安眠していたのかという事が、今迄の経験上、大抵一眼でわかるので、いよいよ見極めが付かぬ時は、その手段を執るより外に方法はないのである。
問題の第十四号室は、宮城の方に向って降りて行く階段の処から右へ第五番目の室《へや》であった。その室《へや》の内外は最早《もはや》、既に、鑑識課の連中が、志免警部の指揮の下に、残る隈なく調べ上げている筈であったが、私は念のため入口の扉《ドア》に近付いて、強力な懐中電燈を照しかけながら、その附近に在る足跡を調べて見ると、すぐに眼に付いたのは大きな泥だらけの足跡で、入口の処で、扉《ドア》を推し開くために左右に広く踏みはだけてある。これは疑いもない岩形氏の足跡で、岩形氏が昨夜《ゆうべ》泥酔して帰った事実が容易に推測される。それから私は黄色くピカピカ光っているワニス塗りの扉《ドア》にも、無造作に懐中電燈の光りを投げかけてみると、扉《ドア》の上半部に在る大きな新しい両手の指紋の殆んど全部と、把手《ノッブ》の上に在る右手の不完全な指紋が直ぐに眼に付いた。しかも、それ等の指紋には一つ残らず、ハッキリと白
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