いた。そのハンカチの下から軽い、微かな叫び声が断続して洩れ出した。しかしそれはほんの一秒か二秒の間であった。忽ちよろよろと後方《うしろ》によろめいた瞬間に頭髪の中から眼も眩むばかりのダイヤのスペクトル光が輝き出たが、それもほんの一刹那の事であった。
 ※[#「※」は「てへん+堂」、第4水準2−13−41、351−16]《どう》と肘掛椅子の中に沈み込んで、顔から両手を離すとそのままぐったりと横に崩れ傾いた。そのたった今|嚥《の》んだばかりの毒液に潤うた唇は、血のようにぶるぶるとふるえつつ、次第次第に傾いて行く漆黒の頭髪《かみげ》の蔭になって、見えなくなって行った。その頭髪《かみげ》の中から、たった一つ生き残った大きなダイヤがもう一度|燦然《さんぜん》と輝き現われて、おびただしい七色の屈折光を廻転させつつ、ぎらぎらと眼を射たが、それもやがてゆらゆらと傾いて行く髪毛の雲に隠れて、オーロラのように見えなくなってしまった。
 女は死んでしまった……。
 ……けれど時計はまだ、その閑静な音を打ち止んでいない。霧の中から洩れ出す教会の鐘の音《ね》をさながらに、悠々と……四つ……五つ……六つ……七つ……八つ……九つ……最後のカラ――ンという一つは室《へや》の中の小宇宙を幾度もめぐりめぐって、目に見えぬ音《ね》の渦を立てながら、次第次第に、はるかにはるかに、遂に聞えなくなってしまった。
 それと同時に室《へや》の一隅から、不可思議な怪しむべき幻影が、足音もとどろに室《へや》の中央《まんなか》によろめき出た。その乱れ立つ黄色の頭髪……水色にたるんだ顔色……桃色に見える白眼……緋色に変った瞳……引き歪められた筋肉……がっくりと大きく開いた白い唇……だらりと垂れた白い舌……ゆらゆらとわななく身体《からだ》……その丸|卓子《テーブル》の上に両手で倚りかかって、女の方を屹《きっ》と覗き込んだ姿……それは最早《もはや》人間でもなく、鬼でもなく、又幽霊でもない。
 それは眼に見えぬ暴風に吹きまくられる木《こ》の葉のような魂であった。恐怖の海に飜弄される泡沫《ほうまつ》のような霊であった。自分がどこに居るか。何をしているか。そんな事は全く知らない空虚の生命であった。その生命がこの世に認め得たものは唯「女の死」という一事だけであった。これを確《しか》と見届けた。そうして机に凍り付いたようにぴったりと動
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