う事実である。これは苟《いやし》くも日本民族の血を享《う》けて日本に籍を置いている以上、不都合千万な奇怪事というべきで、殊に、警視庁の一課長の椅子に腰をかけている身分でありながら、その時その時の政界の事情に何等の興味を持たないでいるという事は、一見不思議に思われるかも知れないが、しかし、私の性格から見ると、これは決して矛盾した事実と思えなかった。
すなわち一言にして尽くせば私は、自分の職務に忠実であればあるだけ、そんな政治問題から超越していなければならぬと固く信じていた者であった。一切の出来事に対してどこまでも冷たい、公平な眼を注いで行かねばならぬ。あらゆる世相に対して忘れても色眼鏡をかけてはならぬ……自分一個の興味や感情に囚《とら》われて批判したり研究したりして、職務上の正確な観察を誤ってはならぬ……と寝ても醒めても警戒していた私であった。だから単に職務という立場からいえば、私は不必要なくらい色々な方面に注意を払っていた……同様に国際問題や、内政の秘密等に関しても、直接に必要のない事まで気を付けて研究していたもので、こんな点に関しては、政党の鼻息を伺ってびくびくしている大官連中なぞよりもずっと呑気《のんき》な、自由な立場に居ると云ってよかった。
そんな私だから今日《こんにち》までの間に、職務上の意見で上官と衝突した事も一度や二度ではなかったが、しかしこの曲馬団に関する意見ほど真剣に主張した事は未だ曾てなかった。……それ程に重大な国際的の危機を含んで、この曲馬団は日本に渡来したものであった。
この曲馬団の先発隊の一行九名が、春陽丸に乗って日本に到着して、警視庁を鼻の先に見た帝国ホテルに陣取って、丸の内仲通り十四号の空地で興行したいという願書を××大使の念入りな保証付きで差出したのは先々月……去年の十二月の末であった。その願書が警視庁に廻って来ると私は、すぐに私一流の専断でもって、腹心の刑事を使って当該曲馬団の内情を極力内偵させる一方に、自分自身でも特に念を入れて調査の歩を進めてみると、彼等は表面米国人を装うているが、実は色々の人種の顔付きを揃えていて小さな人種展覧会の観がある。……もっともこれは曲馬団なるものの性質上止むを得ないとしても、彼等が註文する喰物《くいもの》や酒の種類があまり上等でない。否《いな》、寧《むし》ろ下層社会の嗜好《しこう》に属するものが大
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