ていなかった。受話器を元の処に返したストーン氏は何喰わぬ顔をして、ハンカチで口のまわりを拭く間《ま》に、以前の物柔らかな、堂々たる好紳士に立ち帰っていた。
「ありがとうございました。それでは私、失礼します。何卒《どうぞ》……何卒、今の事、よろしくお頼みします。いろいろ御親切にありがとうございました。済みませんでした」
 こう云いきったストーン氏は、女が返事をしないので調子悪そうに立ち上ると、恭《うやうや》しく目礼をした。
「……さようなら……」

「……………」
 女はいつの間にか口を噤《つぐ》んで、石のように固くなっていた。そうしてストーン氏の言葉のきれ目きれ目に微《かす》かにうなずいて見せながらも、眼は恐ろしそうに警視庁用の封筒をじっと見つめていたが、ストーン氏が別れを告げると、謹んで目礼を返した。そうして氏を送り出すべく、躊躇するようにおずおずと立ち上った。
 私はワイシャツが闇の中に眼立たないように、外套の襟釦《えりぼたん》をぴっちりと掛けた。そうしてさあ来いと身構えるには身構えていたが、しかし何だか物足らぬような気がして仕様がなかった。この室内の装飾は、多分何かの目的でストーン氏を欺くためにした事と、私は最初から睨んでいたが、しかし、たったこれだけの事のためにしては余りに念が入り過ぎている。あとで私を欺くためとは無論思えなかった。
 その中《うち》にストーン氏は玄関の入口の垂れ幕を引き退《の》けて、玄関の横の扉《ドア》の把手《ノッブ》に手をかけた。私も急いで椿の蔭を出ようとしたが、ちょうどその途端に、今まで黙っていた女が、何やら口を利き出したので、ストーン氏は振り返った。私も亦《また》、硝子《ガラス》窓に耳を近づけた。

「何ですか」
 とストーン氏は、女の方に半身を向けて眼を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、286−13]《みは》った。
「貴方《あなた》はもしやあの丸の内で、曲馬を興行しておいでになるお方ではございませんか」
 女の声は石のように硬ばって、今までの弱々しい調子がすっかりなくなっていた。そうして丸|卓子《テーブル》の上の灰色の封筒と、ストーン氏の顔とを恐ろしげに見比べた。
 この様子を見るとストーン氏は急に女の方に向き直って、晴れやかに顔を光らした。
「はーい。そうでございます。私はそのキョク……曲馬団のマネジャー……ダン…
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