の拙《まず》い一文を読んで下さる「探偵好き」の方々に、深甚の敬意を表しておきたいと思う。
 それからもう一つ特にお断りしておきたい事は、この事件の起った当時の日本が、十年一と昔というその西暦一九二〇年……すなわち大正九年以前のそれで、云う迄もなく震災以前の事だから、現在の日本とは格段の相違があると思われる一事である。
 現在の日本は西暦一九三〇年前後を一期《いちご》として、世界の最大強国となりつつ在る。世界大戦でも何でも持って来いという、極めて無作法な態度で、ドシドシ満洲国を承認して東洋モンロー主義を高唱しつつ、列国外交の大帳場たる国際聯盟の前にアグラを掻いている。おまけに、自国の陸軍を常勝軍と誇称《こしょう》し、主力艦隊に無敵の名を冠《かむ》せ、世界中の憎まれっ児《こ》を以て自認しつつ平気でいる。
 同時に国内に於ては、明治維新以来の西洋崇拝熱を次第に冷却させて、代りに鬱勃《うつぼつ》たる民族自主の意識を燃え上らせ初め、国産奨励から、産業合理化、唯物的資本制度の痛撃、腐敗政党の撲滅《ぼくめつ》、等々々のスローガンを矢継早に絶叫し、精神文化を理想とする生命《いのち》がけの結社、団体を暗黙の裡《うち》に拡大強力化して、世界の脅威ともいうべきソビエットの唯物文化を鼻の先にあしらおうとしている。
 一方に米国で催された国際オリンピック競技では、さしもに列国が歯を立て得なかった水上の強豪、米国の覇権を、名もない日本の小|河童連《かっぱれん》の手でタタキ落させ、何の苦もなく世界の水上王国の栄冠を奪い取らせるなぞ、胸の空《す》くような痛快な波紋を高々と、近代史上に蹴上げている。
 こうした母国の意気組を、はるかに巴里《パリー》の片隅から眺めていると、片足を棺桶《かんおけ》に突込んでいる私でさえ、真に血湧き肉躍るばかりである。日本の若い連中はもう、自分達が人類文化を指導しているつもりで、シャッポを阿弥陀にしていはしまいかと思われる位である。
 しかし十年|前《ぜん》……私が警視庁に奉職していた前後の日本はナカナカそんな暢気《のんき》な沙汰ではなかった。現在のように列国と大人並に交際《つきあ》って行くどころの騒ぎではない。赤ん坊扱いにされまいとして悲鳴をあげている時代であった。英米の高圧外交にかかって、ひねり殺されたくないばっかりに、必死的なストラグルを続けているという、見っともな
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