いたり、溜息をしたりしているようにも見えた。
 ところがそのうちにボーイがウイスキーを入れた珈琲を持って行くと、その男はどうした途端《はずみ》か卓子《テーブル》の上に取り落したので、慌てて外套のポケットから白いハンカチを出して押えた。それを女は引き取って綺麗に拭き上げて、よく絞ってから男に渡すと、男はそれを外套のポケットに入れた。その時に女は、自分の持っている紫のハンカチを男の方に差し出したが、男はそれを受け取ってちょっと指の先と口の周囲《まわり》を拭いたまま、すぐに女に返そうとすると女は……要《い》らない……というような手真似をしたので、男はそれを左のポケットにしまい込んだ。そうして急に大きな声を出して、
「おい。ボーイ。ウイスキーだウイスキーだ」
 と呶鳴《どな》った。女はやはり悲しそうに男の顔を見ていた。
 ところでここいらまではボーイも客人もちょいちょい二人の様子を見ていたが、間もなく大勢の客がどかどかと這入って来て酒を呑んで騒ぎ出したので、二人の存在がそれっきり忘れられてしまった。尤もその間の二十分間ばかりというもの、男と女はひそひそと話ばかりしていたが、しまいに男は又かなり酔っ払ったらしい声で呶鳴り出した。
「……ええうるさいッ。最早《もう》話はわかっているじゃないか。子供を思い切るという位、理窟のわかる貴様が、どうしてこれがわからないんだ。貴様は貴様の仕事をする。俺は俺のいいようにする。どこへ行こうと、何をしようと俺の勝手だ。貴様の知った事じゃない。黙っていろ」
 この声は二階中に響き渡って、客人の大部分に聴き耳を立てさせた。その口調の中には、こんなカフェーの中に不似合な、何ともいえない涙ぐましい響があったので、一時カフェーの中がしいーんとした位であった。一方に女は男からそう云われると、身も世もあらぬ体《てい》で、鼻紙で顔を押えて泣き声を忍んでいる様子であったが、そのまましゃくり上げながら立ち上って、しおしおと階段を降りて行った。
 こんな場面を見せ付けられたカフェーの中はすっかり白気《しらけ》渡ってしまった。そうして階段を降りて行く女の姿を見送った人々は、直ぐに視線を転じて、あとに残った男の方を凝視するのであったが、男はそんな事に気も付かない体《てい》で、椅子の背に横すじかいに凭《もた》れかかったまま女の出て行ったあとをじいーっと見詰めているようであ
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