ワで普通の聖書の通りの文句で、一字一字|毎《ごと》に狂いのないところを見ますと、よっぽど信仰の深い僧侶《ぼう》さんが三拝九拝しながら写したもんですね。とにかく滅多に出て来っこない珍本ですからドウゾお大切にお仕舞いおき願いますよ。こうしてお代金を頂戴いたしましたからには、惜しゅうは御座いますが、お譲り致します。
実は先生が、大学でも有名な御本集めの名人でおいでになる事を、法文科の中江先生からズット以前に伺っておりました。今度、○○科へ本集めの名人が来たぜ。あの男は東京に居る時分から俺の好敵手で、どうして集めるんだか判らないが、俺の狙っている本を片端《かたはし》から浚《さら》って行ってしまいやがる。あの男が来ると俺の道楽は上ったりだ……ってね。よくソウ仰言っておられましたよ。
……ですから実はソノ……ヘヘヘ。先生があの本をお持ちになった時も私《あっし》はよく存じておりましたからね。その中《うち》に奥様にでもお代を頂戴に行こうかと思っておりますところへ、今日ヒョックリ先生がお見えになる……トタンに今の夕立で御座いましょう。店には格別お珍しいものも御座んせんし、先生も雨上がりをお待ちになっておいでになる御様子ですし、私《あっし》も朝から店に座っていてすこし頭がボンヤリして来たようですから、ツイ退屈|凌《しの》ぎに根も葉もないヨタ話を一席伺いました訳で……若い中《うち》にナマジッカな学問をしたり寄席へ出たり致しました者は、ツイ余計なお喋舌《しゃべ》りが出て参りますようで……ヤクザな学問ほど溢《あふ》れ出したがるようでヘヘヘ。……ヘエヘエやっぱりコウして書物の中に埋まっておりましても探偵小説が一番面白いようで……まったくで御座います。どうかするとツイ探偵小説を地で行ってみたいような気にフラフラッとなりますから妙なもんで……ヘエ。思いもかけませぬお代を頂戴致しまして恐れ入りました。全く根も葉もない作り事を申上げまして、御心配をおかけ申しました段は、幾重にも御勘弁を……。
ヘエ。モウ降り止んだようで御座います。だいぶ明るくなって参りました。明日はお天気になりましょう。
ヘイ。御退屈様。毎度ありがとう存じます。ドウゾ奥様をお大事に……。
底本:「夢野久作怪奇幻想傑作選 あやかしの鼓」角川ホラー文庫、角川書店
1998(平成10)年4月10日初版発行
初出:「サンデ
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