な事には関係しない。生まれて、成長して、生殖し老衰して、死滅して行きつつ感ずる実際の時間の長さは、どれも、これも同じ一生涯の長さに相違ないのである。この道理を知らないで、朝生まれて夕方死ぬ嬰児《あかんぼ》の哀れさを、同じく朝生まれて日暮れ方に老死する虫の生命と比較して諦めようとするのは馬鹿馬鹿しく不自然、且《かつ》、不合理な話で、畢竟《ひっきょう》するところ、融通の利かない人工の時間と、無限に伸縮自在な天然の時間とを混同して考えるところから起る悲喜劇に過ぎない。
 一切の自然……一切の生物は、かように無限に伸縮自在な天然の時間を、各自、勝手な長さに占領して、その長さを一生の長さとして呼吸し、生長し、繁殖し、老死している。同様に人体を作る細胞の寿命が、人工の時間で計って如何に短かくとも、その領有している天然の時間は無限でなければならぬ。だからその細胞が、その無限の記憶の内容と、無限の時間とを使って、大車輪で「夢」を描くとすれば、五十年や、百年の間の出来事を一瞬、一秒の間に描き出すのは何の造作もない事である。支那の古伝説として日本に伝わっている「邯鄲夢枕物語《かんたんゆめまくらものがたり》」に……盧生《ろせい》が夢の五十年。実は粟飯一炊《あわめしいっすい》の間……とあるのは事実、何の不思議もない事である。

 以上述ぶるところによって、タッタ一粒の細胞の霊能が、如何に絶大無限なものであるか、その中でも特に、そのタッタ一粒の「細胞の記憶力」なるものが、如何に深刻、無量なものがあるかという事実の大要が理解されるであろう。人間の精神と肉体とを同時に胎生し、作り上げて行く「細胞の記憶力」の大作用を如実に首肯されると同時に……何が胎児をそうさせたか……という「胎児の夢」の存在に関する疑問の数々も、大部分氷解されたであろうと信ずる。

 胎児は母の胎内に在って、外界に対する感覚から完全に絶縁されているために、深い深い睡眠と同様の状態に在る。その間に於て、胎児の全身の細胞は盛んに分裂し、繁殖し、進化して、一斉に「人間へ人間へ」と志しつつ……先祖代々が進化して来た当時の記憶を繰返しつつ、その当時の情景を次から次へと胎児の意識に反映させつつある。しかもその胎児は、前述の通り、母胎によって完全に外界の刺戟から遮断されていると同時に、極めて平静、順調に保育されて行くために、ほかの事は全く考えなくてよろしい。ただ一心に「人間へ人間へ」という夢一つを守って行けば宜しいので、その夢の内容も亦《また》、極めて順調、正確に、精細をきわめつつ移りかわって行く。この点が、勝手気儘な、奔放自在な成人の夢と違っているところである。
 これを逆に説明すれば、胎児を創造するものは、胎児の夢である。そうして胎児の夢を支配するものは「細胞の記憶力」という事になる。すべての胎児が母胎内で繰返す進化の道程と、これに要する時間が共通一定しているのはこのためで、現在の人類が、或る共同の祖先から進化して来たために、細胞の記憶、即ち「胎児の夢」の長さが共通一定しているからである。又その無慮数億、もしくは数十億年に亘るべき「胎児の夢」が、僅に十個月の間に見てしまわれるのも、前述の細胞の霊能を参考すれば、決して怪しむべき事ではないので、進化の程度の低い動物の胎生の時間が、割合に短かいのは、そんな動物の進化の思い出が比較的簡単だからである。……だから元始以来、何等の進化も遂げていない下等微生物になると全然「胎児の夢」を有《も》たない。祖先そのままの姿で一瞬の間に分裂、繁殖して行くという理由も、ここに於て容易《たやす》く首肯される筈である。
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◇備考[#「◇備考」は太字] 如上の事実、すなわち「細胞の記憶力」その他の細胞の霊能が、如何に深刻、微妙なものがあるか。そうしてそれが一切の生物の子々孫々の輪廻転生《りんねてんしょう》に、如何に深遠微妙な影響を及ぼしつつ万有の運命を支配して行くものであるかという事に就ては、既に数千年以前から、埃及《エジプト》の一神教を本源とする、各種の経典に説かれているので、現在、世界各地に余喘《よぜん》を保っている所謂《いわゆる》、宗教なるものは、こうした科学的の考察を粉飾して、未開の人民に教示した儀礼、方便等の迷信化された残骸である。だからこの胎児の夢の存在も、決して新しい学説でない事を特にここに附記しておく。
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 然《しか》らば、その吾々の記憶に残っていない「胎児の夢」の内容を、具体的に説明すると、大要どのようなものであろうか。
 これはここまで述べて来た各項に照し合せて考えれば、最早《もはや》、充分に推測され得る事と思うが、尚参考のために、筆者自身の推測を説明してみると大要、次のようなものでなければならぬと思う。

 人間の胎児が、母の胎内で見て来る先祖代々の進化の夢の中で、一番よけいに見るのは悪夢でなければならぬ。
 何故かというと、人間という動物は、今日の程度まで進化して来る間に、牛のような頭角も持たず、虎のような爪牙《そうが》もなく、鳥の翼、魚の保護色、虫の毒、貝の殻なぞいう天然の護身、攻撃の道具を一つも自身に備付《そなえつ》けなかった。ほかの動物と比較して、はるかに弱々しい、無害、無毒、無特徴の肉体でありながら、それをそのまま、あらゆる激烈な生存競争場裡に曝露して、あらゆる恐ろしい天変地妖と闘いつつ、遂に今日の如き最高等の動物にまで進化し、成上《なりあが》って来た。その間には、殆ど他の動物と比較にならない程の生存競争の苦痛や、自然淘汰の迫害等を体験して来た筈で、その艱難辛苦の思い出は実に無量無辺、息も吐《つ》かれぬ位であったろうと思われる。その中でも自分の過去に属する、自分と同性の先祖代々の、何億、何千万年に亘る深刻な思い出を、一々ハッキリと夢に見つつ……それを事実と同じ長さに感じつつ……ジリジリと大きくなって行く、胎児の苦労というものは、とてもその親達がこの世で受けている、短かい、浅墓《あさはか》な苦労なぞの及ぶところではないであろう。
 まず人間のタネである一粒の細胞が、すべての生物の共同の祖先である微生物の姿となって、子宮の内壁の或る一点に附着すると間もなく、自分がそうした姿をしていた何億年前の無生代に、同じ仲間の無数の微生物と一緒に、生暖かい水の中を浮游《ふゆう》している夢を見初める。その無数とも、無限とも数え切れない微生物の大群の一粒一粒には、その透明な身体に、大空の激しい光りを吸収したり反射したりして、或は七色の虹を放ち、又は金銀色の光芒《こうぼう》を散らしつつ、地上最初の生命の自由を享楽しつつ、どこを当ともなく浮游し、旋回し、揺曳しつつ、その瞬間瞬間に分裂し、生滅して行く、その果敢《はか》なさ。その楽しさ。その美しさ……と思う間もなく自分達の住む水に起った僅かな変化が、形容に絶した大苦痛になって襲いかかって来る。仲間の大群が見る見る中《うち》に死滅して行く。自分もどこかへ逃げて行こうとするが、全身を包む苦痛に縛られて動く事が出来ない。その苦しさ、堪まらなさ……こうした苛責が、やっと通り過ぎたと思うと、忽《たちま》ち元始の太陽が烈火の如く追い迫り、蒼白い月の光が氷の如く透過する。或は風のために無辺際の虚空に吹き散らされ、又は雨のために無間《むげん》の奈落《ならく》に打落される。こうして想像も及ばぬ恐怖と苦悩の世界に生死も知らず飜弄されながら……ああどうかしてモット頑丈な姿になりたい。寒さにも熱さにも堪えられる身体《からだ》になりたい……と身も世もあられず悶《もだ》え戦《おのの》いているうちに、その細胞は次第に分裂増大して、やがてその次の人間の先祖である魚の形になる。即ち暑さ寒さを凌《しの》ぎ得る皮肌、鱗《うろこ》、泳ぎ廻る鰭《ひれ》や尻尾《しっぽ》、口や眼の玉、物を判断する神経なぞが残らず備わった、驚くべき進歩した姿になる。……ああ有難い、これなら申分《もうしぶん》はない。俺みたような気の利いた生物はいまい……と大得意になって波打際を散歩していると、コワ如何に、自分の身体の何千倍もある章魚《たこ》入道が、天を蔽《おお》うばかりの巨大な手を拡げて追い迫って来る。……ワッ――助けてくれ……と海藻の森に逃込んで、息を殺しているうちにヤット助かる。そこでホッと安心してソロソロ頭を持上げようとすると、今度は、思いもかけぬ鼻の先に、前の章魚よりも何十層倍大きな海蠍《うみさそり》の鋏《はさみ》が詰め寄って来る。スワ又一大事と身を飜えして逃げようとすると背中から雲かと思われる三葉虫が蔽いかかる。横の方からイソギンチャクが毒槍を閃《ひら》めかす。その間を生命《いのち》からがら逃出して、小石の下に潜り込むと……ブルブル。ああ驚いた。情ない事だ。コンナ調子では未だ安心して生きておられない。一緒に進化して来た生物仲間は物騒だというので、自分の身体を固い殻で包んだり、岩の間から手足だけ出したりしているが、自分はあんな事までしてこの暗い、重苦しい水の中に辛棒しているのは厭《いや》だ。それよりも早く陸《おか》に上りたい。あの軽い、明るい空気の中で自由に、伸び伸びと跳廻《はねまわ》られる身体になりたい……と一所懸命に祈っているとその御蔭で、小さな三つ眼の蜥蜴《とかげ》みたようなものになってチョロチョロと陸《おか》の上に匍《は》い上る事が出来た。
 ……ヤレ嬉しや。ありがたや……とキョロキョロチョロチョロと駈けまわる間もなく、今度は世界が消え失せるばかりの大地震、大噴火、大海嘯《おおつなみ》が四方八方から渦巻き起る。海は湯のように沸き返って逃込む処もない。焼けた砂の上で息も絶え絶えに跳ねまわっているその息苦しさ。セツナサ……その苦しみをヤッと通り越したと思うと今度は、山のような歩竜《イグアノドン》の趾《あし》の下になる。飛竜《プラテノドン》[#ルビの「プラテノドン」はママ]の翼に跳ね飛ばされる。始祖鳥《アルケオフェリクス》の妖怪然たる嘴《くちばし》にかけられそうになる。……アアたまらない。やり切れない。一緒に進化して来た連中は、身体中に刺《とげ》を生やしたり、近まわりの者に色や形を似通わせたり、甲羅《こうら》を被《かぶ》ったり毒を吹いたりしているが、あんな片輪《かたわ》じみた、卑怯な、意久地《いくじ》のない真似をしなくとも、もっと正しい、囚《とら》われない、温柔《おとな》しい姿のまんまで、この地獄の中に落付いていられる工夫はないか知らんと……石の間に潜んで、息を殺して念じ詰ていると、頭の上の顱頂孔《ヒクメキ》の処に在る眼玉が一つ消え失せて、二つ眼の猿の形に出世して、樹から樹へ飛び渡れるようになった。
 ……サア占《し》めたぞ。モウ大丈夫だぞ。俺ぐらい自由自在な、進歩した姿の生物はいまいと、木の空から小手を翳《かざ》していると、思いもかけぬ背後《うしろ》から蟒蛇《うわばみ》が呑みに来ている。ビックリ仰天して逃出すと、頭の上から大鷲が蹴落しに来る。枝の間を伝《つたわ》って逃げ了《おお》せたと思うと、今度は身体《からだ》中に蝨《だに》がウジャウジャとタカリ初める。山蛭《やまひる》が吸付きに来る。寝ても醒ても油断が出来ない中《うち》に、やがて天地も覆《くつがえ》る大雷雨、大|颶風《ぐふう》、大氷雪が落《おち》かかって、樹も草もメチャメチャになった地上を、死ぬ程、狂いまわらせられる。……ああ……セツナイ。堪《たま》らない。自分は何も悪い事はしないのに、どうしてコンナに非道《ひど》い目にばかり遭うのであろう。どうかしてモット豪《えら》い者になって、コンナ災難を平気で見ておられる身体になりますように……と木の空洞《うつろ》に頭を突込んで、胸をドキドキさせながら祈っていると、ようようの事で尻尾《しっぽ》が落ちて、人間の姿になる事が出来た。
 ……ヤレ嬉しや。有難や。これから愈々《いよいよ》極楽生活が出来るのかと思っていると、どうしてどうして、夢はまだお終《しま》いになっていない。人間の姿になると直ぐに又、人間としての悪夢を見初める
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