びょうし》……。
……ナニイ。眼が眩《まわ》って来たア……。
アハハハハハ……それあ眩るだろう。吾輩の気焔を聞かされたら、大抵の奴がフラフラフラと……。
……ナ……なんだ。そうじゃない。葉巻に酔ったんだと?……
アッハッハッハッ……コイツは大笑いだ。
ワッハッハッハッハッハッハッ。[#地から2字上げ](文責在記者)
胎児の夢[#「胎児の夢」は本文より5段階大きな文字]
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
――人間の胎児によって、他の動植物の胚胎の全部を代表させる。
――宗教、科学、芸術、その他、無限の広汎に亘るべき考証、引例、及《および》、文献に関する註記、説明は、省略、もしくは極めて大要に止める。
[#ここで字下げ終わり]
人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。
その夢は、胎児自身が主役となって演出するところの「万有進化の実況」とも題すべき、数億年、乃至《ないし》、数百億年に亘るであろう恐るべき長尺《ちょうじゃく》の連続映画のようなものである。すなわちその映画は、胎児自身の最古の祖先となっている、元始の単細胞式微生物の生活状態から初まっていて、引き続いてその主人公たる単細胞が、次第次第に人間の姿……すなわち胎児自身の姿にまで進化して来る間の想像も及ばぬ長い長い年月に亘る間に、悩まされて来た驚心《きょうしん》、駭目《がいもく》すべき天変地妖《てんぺんちよう》、又は自然|淘汰《とうた》、生存競争から受けて来た息も吐《つ》かれぬ災難、迫害、辛苦、艱難《かんなん》に関する体験を、胎児自身の直接、現在の主観として、さながらに描き現わして来るところの、一つの素晴しい、想像を超越した怪奇映画である。……その中には、既に化石となっている有史以前の怪動植物や、又は、そんな動植物を惨死、絶滅せしめた天変地異の、形容を絶する偉観、壮観が、そのままの実感を以て映写し出される事はいう迄もない。引続いては、その天変地妖の中に、生き残って進化して来た元始人類から、現在の胎児の直接の両親に到るまでの代々の先祖たちが、その深刻、痛烈な生存競争や、種々雑多の欲望に駆られつつ犯して来た、無量無辺の罪業の数々までも、一々、胎児自身の現実の所業として描き現わして来るところの、驚駭と戦慄とを極めた大悪夢でなければならぬ事が、次に述べる通りの「胎生学」と「夢」に関する二つの大きな不可思議現象を解決する事によって、直接、間接に立証されて来るのである。
まず第一に、人間の胎児が母の胎内に宿った時、その一番最初にあらわしている形は、すべての生物の共同の祖先である元始動物と同様に、タッタ一つのマン丸い細胞である。
そのマン丸い細胞の一粒は、母胎に宿ると間もなく、左右の二粒に分裂増殖する。そうしてそのまま密着し合って、やはり一個の生物となっている。
その左右の二個はやがて又、各々《おのおの》上下の二個ずつに分裂、増殖する。そうして矢張《やは》り、その四個とも一つに密着し合って、母胎から栄養を摂《と》りつつ、一個の生物の機能を営んでいる。
かようにして四個、八個、十六個、三十二個、六十四個……以上無数……という風に、倍数|宛《ずつ》に分裂しては密着し合って、次第次第に大きくなりつつ、人類の最初の祖先である単細胞の微生物から、人間にまで進化して来た先祖代々の姿を、その進化して来た順序通りに、間違いなく母胎内で繰返して来る。
まず魚の形になる。
次にはその魚の前後の鰭《ひれ》を四足に変化さして匐《は》いまわる水陸両棲類の姿にかわる。
次には、その四足を強大にして駈けまわる獣《けもの》の形態をあらわす。
そうして遂には、その尻尾《しっぽ》を引っこめて、前足を持上げて手の形にして、後足で直立して歩きまわる人間の形……普通の胎児の姿にまで進化してからオギャアと生まれる……という段取りになるので、そうした順序から、これに要する時間までも、万人が万人、殆ど大差ないのが通例になっている。
これは胎生学上、既にわかり切っている事実で、誰一人、否定し得ない現象であるが、扨《さて》、それならば、あらゆる胎児は何故《なにゆえ》に、そのような手数のかかる胎生の順序を母胎内で繰返すのであろうか。何故に、直ぐさま小さな人間の形になって、そのままに大きくなって、生まれて来ないのであろうか。又は、最初のタッタ一粒の細胞が何故に、そんなに万人が万人申合せたように、寸分|違《たが》わぬ胎生の順序を繰返して来るのであろうか。すなわち……
「何が胎児をそうさせたか」
という問題になると、誰一人として適当の解釈を下し得るものが居ない。現代の科学書類の隅から隅まで探しまわってもこの解釈だけは発見されない。唯、不思議というよりほかに説明の仕様がない事になっている。
次に、一切の胎児は斯様《かよう》にして、自分の先祖代々が進化して来た姿を、その順序通りに寸分の間違いなく母の胎内で繰返して来るのであるが、しかしその経過時間は非常に短かめられているので、人間の先祖代々の動物が、何百万年かもしくは何千万年がかりで鰭《ひれ》を手足に、鱗《うろこ》を毛髪に……といった順序に、少しずつ少しずつ進化させて来た各時代時代の姿を、僅かに分とか、秒とかで数え得る短時間のうちに繰返して、経過して来る事さえある。これは既に一つの説明の出来ない不思議として数えられ得るのであるが、更に今一歩進んだ不思議な事には、その縮められている時間と、実際の進化に要した時間の割合が、決して出鱈目《でたらめ》の割合になっていないらしい事である。
すなわち人間の胎児は凡《およ》そ十箇月間で、元始以来の先祖代々の進化の道程を繰返す事になっているのであるが、その他の動物は概して、進化の度合が低ければ低いだけ、その胎生に要する時間が短かくなっているので、進化の度の最も低い……すなわち元始時代の姿のままの、細菌、その他の単細胞動物は大部分、胎生の時間を全然持たない。そのままの姿で分裂して二つの新しい生物になって行く……というのが事実上の事実になっているのであるが、これは一体、どうした理由であろうか。進化の度の最も高い人間の胎児は何故《なにゆえ》に、最も長い胎生の時間を要するのであろうか。換言すれば、
「何が胎児をそうさせるか」
という問題に就いて適当の解釈を加えようとすると、現代の科学知識では絶対に不可能である事が発見される。やはり唯、不思議というよりほかに説明の仕様がない事になっているのである。
以上は胎児に関する不可思議現象の実例であるが、次に、こうして出来上った人間の「肉体」を、解剖学方面から研究、観察してみると又、同じような不可思議現象が数限りなく現われて来る。
すなわち人間の肉体なるものを表面から観察してみると、その進化の度が高いだけに……換言すればその胎生に念が入っているだけに、他の動物よりも遥かに高尚優美に出来上っている事が、とりあえず首肯《うなず》かれるであろう。その柔和な、威厳を含んだ眼鼻立から、綺麗な皮膚、美的に均整した骨格や肉付きまで、如何にも万物の霊長らしく見受けられるのであるが、しかし一度《ひとたび》その肉体の表皮を剥《め》くって、肉を引き離し、内臓を検査し、脳髄や五官の内容を解剖して細かに観察してみると、その各部分部分の構成は一つ一つに、下等動物から進化して来た吾々の先祖代々、魚、爬虫《はちゅう》、猿等の生活器官の「お譲り」である事が、判明して来る。すなわち一本の歯の形にも、一筋の毛髪の組織にまでも、それをそこまで洗練し、進化させて来た、驚くべき長年月に亘る自然淘汰の大迫害、もしくは生存競争の辛苦艱難の歴史がアリアリと記録されているので、そんな歴史を一々刻明に記念して、その通りに胎児の姿を繰返して進化させて、人間の姿にまで仕上げて来たあるもの[#「あるもの」に傍点]の偉大、深刻なる記憶作用が、完成した人間の細胞の隅々までも、明瞭に刻み付けられているのである。
いう迄もなく斯様《かよう》な現象は進化論、遺伝学、又は解剖学等々で如実に証明されている事柄だから、ここには詳細な説明は加えないが、しかし、それは何者が記憶していて、そのような歴史を繰返させたか。
「何が胎児をそうさせたか」
という事に就いては、まだ、何一つ説明が与えられていない。やはり唯、一つの不思議というよりほかに説明出来ない事になっている。
しかも、そればかりではない。
更に今一歩突込んで、人間の精神なるものの内容を観察すると、斯様な事実が、更に一層、深刻痛切に立証されて来る。
すなわち人間の精神も亦《また》、これを表面から観察すると、他の動物とはトテモ比較出来ない程、段違いの美しさを現わしている。「人間は万物の霊長である」という自覚、もしくは「文化的プライド」と名付くる、所謂《いわゆる》「人間の皮」一枚を以て、自己の精神生活の内容を蔽《おお》い包んで、常識とか、人格とか名付くるお化粧を施して、超然と澄まし返っているのであるが、しかし一旦、その表皮、すなわち人間の皮なるものを一枚剥ぎ取ってみると、その下から現われて来るものは、やはりその人間の遠い遠い祖先である微生物が、現在の人間にまで鍛い上げられて来た、驚くべき長年月に亘る自然淘汰、生存競争の大迫害に対する警戒心理、もしくは生存競争心理が、その時代時代の動物心理の姿で、ソックリそのままに遺伝されたものばかりである事実が、余りにも露骨に発見されて来るのである。
まず所謂、文化人の表皮……博愛仁慈、正義人道、礼儀作法なぞで粉飾してある人間の皮を一枚|剥《め》くると、その下からは野蛮人、もしくは原始人の生活心理があらわれて来る。
この事実を最もよく立証している者は無邪気な小児である。まだ文化の皮の被《かぶ》り方を知らない小児は、同じように文化の皮の被り方を知らない古代民族の性格を到るところに発揮して行くので、棒切れを拾うと戦争ゴッコをしたくなるのは、部落と部落、種族と種族の間の戦争行為によって生存競争を続けて来た、所謂、好戦的な原始人の性質の遺伝、すなわち細胞の中に潜在して伝わって来た野蛮人時代の本能的な記憶が、棒切れという武器に似た恰好のものの暗示によって刺戟され、眼醒めさせられたものである。虫ケラを見付けると、何の意味もなしに追い廻してみるのは、動くものを見れば、何でも追いかけてみるという狩猟時代の心理の遺跡を、虫ケラの暗示によって刺戟誘発されたもので、そうして捕え得た虫ケラの手足を※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《も》ぎ取り、羽翼を奪い、腹を裂き、火に焙《あぶ》りなぞして、喜び戯《たわむ》れるのは、そうした方法に依って獲物や、俘虜を処分し、飜弄し、侮辱して、勝利感、優越感を徹底的に満足させようとした古代民族の残忍性の記憶を、そのままに再現しているものに外ならないのである。又、赤ん坊を暗い処に置くと泣き出すのは、やはり火を持たぬ時代の原始人が、猛獣毒蛇に満ち満ちた暗黒に対する恐怖の復活で、どこへでも大小便を洩らすのが大昔、樹の根や、草の中に寝ていた時代の習慣の再現である事は、現代の進歩した心理学の研究によって説明されている通りである。
次にこの野蛮人もしくは、原始人の皮を今一度|剥《め》くってみると、その下には畜生……すなわち禽獣《きんじゅう》の性格が一パイに横溢している事が発見される。
たとえば同性……すなわち知らない男同志か、女同志が初対面をすると、一応は人間らしい挨拶をするが、腹の中では妙に眼の球《たま》を白くし合って、ウソウソと相手の周囲を嗅ぎまわる心理状態をあらわす。油断をすると相手の尻のあたりまで気を廻して、微細な処から不愉快な点を発見して、お互いに鼻に皺《しわ》を寄せ合ったり、歯を剥き出し合ったりする気持をほのめかす。ウッカリすると吠え立てる。噛み付く……町の辻で出会った犬猫の心理と全然同一である。そのほか自分より弱いものを見付けると、ちょっと苛《いじ》めてみたくなる。すこし邪魔になる奴は殺してくれ
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