チャカポコ、チャカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……

       九

 ▼チャチャラカ、ポコポコ。スカラカ、ポコポコ……扨《さて》も左様なイカサマ病院。キチガイ地獄が出来ないように。防ぐ工夫があるかというたら。タッタ一つの手段があります。しかもなかなか大きな仕事じゃ。どこか気候と景色のよろしい。交通便利な離れた島へ。ザット一千万円かけて。かくいう私が新案工夫の。デッカイ精神病院建てます。そこへ研究試験所つけます。患者を無料で入院させます。地獄なんぞが出来ないように。解放治療というのをやります。これも私の新案工夫じゃ。すなわち正しい精神科学の。正しいキチガイ病気の治療じゃ。薬使わず手術もしませぬ。鉄の鎖や、石箱、鉄箱。袖無襯衣《そでなしシャツ》なぞ一切使わず。ありとあらゆる精神病者を。広い処へ追い放しにして。一番自然な正しい治療を。しようというのが解放治療じゃ。いわば精神病者の牧場《まきば》じゃ。キチガイ患者の極楽世界じゃ。奇妙キテレツ珍妙無類の。世界初めの精神病院。むろん誰でも参観随意じゃ。ドンナ素敵な観物《みもの》になるかは。蓋《ふた》を開けねば私もわからぬ。何から何まで新発明だよ。スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。何から何まで新発明だよ。いずれその中《うち》発表しますが。世界の学者が一人も知らない。キチガイ病気の出て来る原理じゃ。しかも頗《すこぶ》る簡単明瞭。ステキ滅法愉快な学理を。そこで実地の試験にかけます。診察予防が絶対不可能。薬も無ければ手術も出来ない。キチガイ病気の正体調べて。診察治療が出来るとなったら。トテモ評判大したものだよ。世界に人種が数ある中で。日本人種は見上げたものだよ。正義人道|尊《たっと》ぶ国だよ。精神科学の先進国だと。云わせたいのが私の願いじゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。云わせたいのが私の願いじゃ。なれど何しろ一千万の。金というたら大したもんだよ。私が親から引譲られた。田地田畑《でんちでんぱた》、貯金や証文。古い褌《ふんどし》お金に換えても。やっと半分そこらのものだよ。あとは政府のお助け仰いで。それにも一つ皆様方の。清い尊《たっと》いお志を。たより縋《すが》りに遣《や》りたい考え。五厘一銭、藁《わら》一筋でも。多寡《たか》は厭《いと》わぬ願人坊主じゃ。頭たたいて頂きまする……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。アタマたたいて頂戴しまする。なれど、そういう願人坊主が。やはり「キの字」の片割《かたわれ》らしいぞ。眼付き風付《ふうつ》き何やらおかしい。非人乞食に劣らぬ姿で。道のほとりに鞄《かばん》を投げ出し。駄声《だごえ》はり上げ木魚をチャカポコ。昼の日中《ひなか》に外聞|晒《さら》す。しかも文句が常識外れた。世界文化の千万円じゃの。耳に聞こえず眼にさえ見せない。人の心の狂いを直すの。古今独歩の研究なんどと。途方|途轍《とてつ》もない事並べて。寄附を集めるイカサマ坊主じゃ。そんな古手にかかると思うか。要らぬ処で道草喰うたぞ。早く行こうと仰言《おっしゃ》るならば。これは如何《いか》さま尤《もっと》も千万。道理至極じゃスカラカ、チャカポコ。頭たたいてお詫びをしまする……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。頭たたいてお詫びをしまする。そもやそもそも一体全体。こんなスカラカ、チャカポコ頭が。身の程知らない木魚をたたいて。頼み手も無い金にもならない。要らぬ赤恥、天日《てんぴ》にさらげる。事の起りはキチガイ地獄じゃ。文明社会の裏面に拡がる。無茶と野蛮の底抜け地獄じゃ。筆も言葉も木魚も及ばぬ。むごさ、せつなさ、悲しさ辛《つ》らさを。底の底まで見て来たお蔭で。こちらの頭が少々変テコ。これをこのまま棄ててはおけぬと。思い込んだが因果のはじまり。これを助ける方法手段を。あれよこれよと思案のあげくが。精神病者を無料で預る。デカイ病院建てるが第一。それを建てるにゃ皆様方の。輿論のお力借りねばならぬ。又は一厘一銭たりとも。無駄に使わぬ思案の果だよ。思い付いたる乞食の姿が。お眼に障わったお詫びの印じゃ。今のキチガイ地獄の歌をば。印刷《はん》に起した斯様《かよう》な書物を。お立ち会い衆へお頒《わか》ちしまする。お金は要らないお願いしまする。持って帰ってお読みなされて。これはどうやら真実《ほんとう》らしいぞ。寄附をしようかと思うたお方や。扨《さて》は私の一生仕事の。狂人救済事業の中味を。もっと詳しく調べてみたい。又は世界の漫遊みやげの。眼先変ったキチガイ話や。家の祟《たた》りや血統《ちすじ》の障《さわ》りや。生霊、死霊の怨みやなんぞが。人の心を狂わせ惑わす。スゴイ因果の因縁話を。聞いてみようかそれとも又は。何か大勢集まる場所で。そんな話をやらせて見たらば。奇抜な余興になるかも知れぬと。思召《おぼしめ》したらお手数ながら。ここに挟んだ葉書が一枚。これにお名前お所番地。それとこれなる頁《ページ》の終りに。止めましたる宛名を書いて。ぽんとポストにお願いしまする。願うところはこの世の中に。こんな事実があります事を。向う三軒両お隣りや。どなたこなたの噂の種に。語り伝えて下さりませよ。すれば今云うキチガイ地獄や。人類文化の裏面の秘密が。否《いや》が応でも世間へ広まる。悪い事する精神病院。キチガイ地獄を片端なぐりに。タタキ潰せと輿論が高まる……チャカポコチャカポコ……
 ▼そこで政府も黙っておれない。棄てておけない重大問題。社会事業の急務というので。私が投げ出す財産全部の。五百余万のお金を基本に。精神病者を無料で預かる。国立精神病院建てます。到る処の精神病者の。生産過剰の緩和を初める……チャカポコチャカポコ……
 ▼人に忘られ世に忘られて。狂い藻掻《もが》いて生命《いのち》を終る。あわれな精神病者が助かる……ポコチャカポコチャカ……
 ▼それかばかりかその病院で。研究し出したキチガイ病気の。治療のし方が世間に広まる。世界各地のキチガイ地獄が。一つ残らず引っくり返って。ありとあらゆる精神病者の。嬲《なぶ》り殺しが止みますならば。こんな本懐|至極《しごく》は御座らぬ……ポコポコチャカチャカ……
 ▼あ――ア。こんな本懐至極は御座らぬ。そこで成る程貴様の仕事は。実に道理《もっとも》千万至極じゃ。奇特、感心、立派な了簡《りょうけん》。俺が付いてる心配するなよ。ウント踏張り勉強やらかせ。狂人地獄をスカラカ、チャンまで。タタキ潰せよフレ――やフレーと。お賞めなされて下さるならば。私の喜び天井知らずじゃ……チャカチャカポコポコポコポコチャカチャカポコポコ……

       十

 ▼スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。あ――ア。さても皆さん相済みませぬ。御用、お急ぎ、散歩の足をば。変な姿や奇妙な文句で。お引止めして気の毒千万。なれどつらつらおもんみまするに。三千世界を流るる時間が。何万、何億、何兆年とも。知れぬ無限の時間の中《うち》なら。五十、七十、百まで生きても。アッという間の一生涯だよ。何が何やらわからぬまんまに。会うて別れて生まれて死に行く。数え切れない人数《にんず》の中だよ。今日が只今この道傍《みちばた》で。お眼にかかるも何かの御縁じゃ。お許しなされて下さりませよ。よしやこのままお別れしても。残る名残りがスカラカチャカポコ。もしもこの後《のち》世間の噂や。雑誌新聞、小説なんぞで。キチガイ話を御覧になったり。又はホンマの精神病者を。通り縋《すが》りに御覧になったら。思い出しても下されませよ。月の光りや太陽の輝やき。星の光りも掻き消すばかりに。眼《まなこ》眩《くら》めくモダーン文化や。又は博愛仁慈の光明。正義道理のサーチライトも。昔ながらに照らさぬ世界じゃ。地獄以上のキチガイ地獄に。音も香《か》もなく消え行く先だよ。広さ深さも無限の暗《やみ》の。底に青ずみ漂う血の海。上にさまよう陰火《おにび》の焔は。罪も報いも無いまま死に行く。精神病者の無念の思いじゃ。聞いて聞こえぬ怨みの数々。聞いた心がクドキの文句じゃ。念仏代りの阿呆陀羅経《あほだらきょう》だよ。無調法なる木魚に合わせて。チョット御機嫌伺いまする。げどう――さア――えエ――もオ――んンン。キチガイ――イ――地獄ウ。
[#地から1字上げ]――ヘイ。御退屈様――


 ◆葉書は左記へお出し下さい。

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┌────────────────────┐
│                    │
│  九州帝国大学医学部精神病学教授   │
│   斎藤寿八氏自室気付        │
│                    │
│   面黒楼万児宛           │ 
│                    │
│ ┌───┐              │
│ │   │              │
│ └───┘              │
└────────────────────┘
[#ここで字下げ終わり]


  地球表面は[#「地球表面は」は本文より2段階大きな文字]
   狂人の一大解放治療場[#「狂人の一大解放治療場」は本文より5段階大きな文字]

[#ここから地から2字上げ]
九州帝国大学       
       正木敬之氏談
精神病科教室       
[#ここで字上げ終わり]

[#ここから1字下げ]
去る三月初旬以来、九州帝国大学精神病科本館裏手に起工されて、その附属病院の工事と共に着々|進捗《しんちょく》しつつある「狂人解放治療場」は、過般来《かはんらい》その内容が厳秘中であったが、右は同科新任教授正木博士が私費を投じて開設したものである事が判明した。右に就《つ》き正木博士は同教授室に於て、往訪の記者に対しかく語った。
[#ここで字下げ終わり]

 世間では今度、吾輩が九大で開始した「解放治療」を吾輩の独創だとか、嶄新《ざんしん》奇抜だとかいって騒いでいるようであるが、正直のところを云うと決して吾輩の独創でもなければ、嶄新奇抜な療法でもないのだ。すなわちこの地球表面上は、昔々の大昔の、歴史にも伝説にも残っていない以前から、狂人の一大解放治療場になっているので、太陽はその院長、空気はその看護婦、土はその賄係《まかないがか》りに見立てられ得るのだ。
 ……といっても吾輩は別に奇矯な言辞を弄《ろう》しているのではない。そうした事実を断言し得る相当の理由があるから云うので、何を隠そう吾輩の「精神病研究」の第一歩はこの「地球表面上が狂人の一大解放治療場になっている」という事実に立脚していると云ってもいいのだ。
 それは何故かというと、元来この地上に生み付けられている人間は、身分の高下、老若男女の区別を問わず、指一本でも自分の自由にならぬか、又はどこか足りないか、多過ぎるかした人間を発見すると、すぐに「片輪《かたわ》」という名前を附けて軽蔑したり、気の毒がったり、特別扱いにしたりする事にきめている。同様に、頭のハタラキが本人の自由にならぬか、又は、頭の働きのどこか足りないか、多過ぎるかした人間を見付けると、早速、精神病患者、すなわちキチガイの烙印《やきいん》を押し付けて差別待遇を与える事にきめているようである。禽獣《きんじゅう》、虫ケラ以下の軽蔑、虐待を加えてもいいものと考えているらしく考えられる……が……然《しか》らばその精神病者を侮蔑し、冷笑している所謂《いわゆる》、普通の人間様たちの精神は、果して、何もかも満足に備わっているであろうか。すべての人々の脳髄は、隅々までも本人の意志の命令通りに、自由自在に動いているであろうか。
 吾輩は敢《あえ》て云う。公平、且《か》つ厳正な学問の眼から見ると、決してそうは思えない。それは手足の曲ったのや、眼鼻の欠け落ちたのと同様に、外から肉眼で見わける事が出来ないだけで、実際のところをいうとこの地球表面上に生きとし生ける人間は、一人残らず精神的の片輪者《かたわもの》ばかりと断言して差支えないのであ
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