か》に這入った。片手で私の手をソッと握って、片手で扉を静かに閉めると、靴音を忍ばせつつ、向うの壁の根方《ねかた》に横たえてある、鉄の寝台に近付いた。そうしてそこで、私の手をソッと離すと、その寝台の上に睡っている一人の少女の顔を、毛ムクジャラの指でソッと指し示しながら、ジロリと私を振り返った。
 私は両手で帽子の庇《ひさし》をシッカリと握り締めた。自分の眼を疑って、二三度パチパチと瞬《まばた》きをした。
 ……それ程に美しい少女が、そこにスヤスヤと睡っているのであった。
 その少女は艶々《つやつや》した夥《おびただ》しい髪毛《かみのけ》を、黒い、大きな花弁《はなびら》のような、奇妙な恰好に結んだのを白いタオルで包んだ枕の上に蓬々《ぼうぼう》と乱していた。肌にはツイ私が今さっきまで着ていたのとおんなじ白木綿の患者服を着て、胸にかけた白毛布の上に、新しい繃帯《ほうたい》で包んだ左右の手を、行儀よく重ね合わせているところを見ると、今朝早くから壁をたたいたり呼びかけたりして、私を悩まし苦しめたのは、たしかにこの少女であったろう。むろん、そこいらの壁には、私が今朝ほど想像したような凄惨な、血のにじ
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