どこで自分の物になって来たのか。そんなに夥《おびただ》しい、限りもないであろう、過去の記憶を、どうしてコンナに綺麗サッパリと忘れてしまったのか……。
……そんな事を考えまわしながら眼を閉じて、自分の頭の中の空洞《がらんどう》をジッと凝視していると、私の霊魂《たましい》は、いつの間にか小さく小さく縮こまって来て、無限の空虚の中を、当てもなくさまよいまわる微生物《アトム》のように思われて来る。……淋しい……つまらない……悲しい気持ちになって……眼の中が何となく熱くなって……。
……ヒヤリ……としたものが、私の首筋に触れた。それは、いつの間にか頭を刈ってしまった理髪師が、私の襟筋《えりすじ》を剃《そ》るべくシャボンの泡を塗《なす》り付けたのであった。
私はガックリと項垂《うなだ》れた。
……けれども……又考えてみると私は、その一箇月以前にも今一度、若林博士からこの頭を復旧された事があるわけである。それならば私は、その一箇月以前にも、今朝みたような恐ろしい経験をした事があるのかも知れない。しかも博士の口ぶりによると、博士が私の頭の復旧を命じたのは、この理髪師ばかりではないようにも思える
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