ンクリート》壁を凝視した。
 その混凝土壁の向側から、奇妙な声が聞えて来たからであった。
 ……それは確かに若い女の声と思われた。けれども、その音調はトテも人間の肉声とは思えないほど嗄《しゃが》れてしまって、ただ、底悲しい、痛々しい響《ひびき》ばかりが、混凝土の壁を透して来るのであった。
「……お兄さま。お兄さま。お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま。……モウ一度……今のお声を……聞かしてエ――ッ…………」
 私は愕然《がくぜん》として縮み上った。思わずモウ一度、背後《うしろ》を振り返った。この部屋の中に、私以外の人間が一人も居ない事を承知し抜いていながら……それから又も、その女の声を滲《し》み透して来る、コンクリート壁の一部分を、穴のあく程、凝視した。
「……お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま……お隣りのお部屋に居らっしゃるお兄様……あたしです。妾《あたし》です。お兄様の許嫁《いいなずけ》だった……貴方《あなた》の未来の妻でした妾……あたしです。あたしです。どうぞ……どうぞ今のお声をモウ一度聞かして……聞かして頂戴……聞かして……聞かしてエ――ッ……お兄様お兄様お兄様お兄様
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