れるから判明《わか》るのです。……この髪の奇妙な結《ゆ》い方を御覧なさい。この結髪のし方は、この令嬢の一千年|前《ぜん》の御先祖が居られた時代の、夫を持った婦人の髪の恰好で、時々御自身に結い換えられるのです……つまりこの令嬢は、只今でも、清浄無垢の処女でおられるのですが、しかし、御自身で、かような髪の形に結い変えておられる間は、この令嬢の精神生活の全体が、一千年前の御先祖であった或る既婚婦人の習慣とか、記憶とか、性格とかいうものに立返っておられる証拠と認められますので、むろんその時には、眼付から、身体《からだ》のこなしまでも、処女らしいところが全然見当らなくなります。年齢《とし》ごろまでも見違えるくらい成熟された、優雅《みやび》やかな若夫人の姿に見えて来るのです。……尤《もっと》も、そのような夢を忘れておいでになる間は、附添人の結うがまにまに、一般の患者と同様のグルグル巻《まき》にしておられるのですが……」
私は開《あ》いた口が閉《ふさ》がらなかった。その神秘的な髪の恰好と、若林博士の荘重な顔付きとを惘々然《ぼうぼうぜん》と見比べない訳に行かなかった。
「……では……では……兄さんと云ったのは……」
「それは矢張《やは》り貴方の、一千年|前《ぜん》の御先祖に当るお方の事なのです。その時のお姉様の御主人となっておられた貴方の御先祖……すなわち、この令嬢の一千年前の義理の兄さんであった貴方と、同棲しておられる情景《ありさま》を、現在夢に見ておられるのです」
「……そ……そんな浅ましい……不倫な……」
と叫びかけて、私はハッと息を詰めた。若林博士がゆるやかに動かした青白い手に制せられつつ……。
「シッ……静かに……貴方が今にも御自分のお名前を思い出されますれば、何もかも……」
と云いさして若林博士もピッタリと口を噤《つぐ》んだ。二人とも同時に寝台の上の少女をかえりみた。けれども最早《もう》、遅かった。
私達の声が、少女の耳に這入ったらしい。その小さい、紅い唇をムズムズと動かしながら、ソッと眼を見開いて、ちょうどその真横に立っている私の顔を見ると、パチリパチリと大きく二三度|瞬《まばたき》をした。そうしてその二重瞼の眼を一瞬間キラキラと光らしたと思うと、何かしら非常に驚いたと見えて、その頬の色が見る見る真白になって来た。その潤んだ黒い瞳が、大きく大きく、殆んどこの世のものとは思われぬ程の美しさにまで輝やきあらわれて来た。それに連《つ》れて頬の色が俄《にわ》かに、耳元までもパッと燃え立ったと思ううちに、
「……アッ……お兄さまッ……どうしてここにッ……」
と魂消《たまぎ》るように叫びつつ身を起した。素跣足《すはだし》のまま寝台から飛び降りて、裾《すそ》もあらわに私に縋《すが》り付こうとした。
私は仰天した。無意識の裡《うち》にその手を払い除《の》けた。思わず二三歩飛び退《の》いて睨《にら》み付けた……スッカリ面喰ってしまいながら……。
……すると、その瞬間に少女も立ち止まった。両手をさし伸べたまま電気に打たれたように固くなった。顔色が真青になって、唇の色まで無くなった……と見るうちに、眼を一パイに見開いて、私の顔を凝視《みつ》めながら、よろよろと、うしろに退《さが》って寝台の上に両手を支《つ》いた。唇をワナワナと震わせて、なおも一心に私の顔を見た。
それから少女は若林博士の顔と、部屋の中の様子を恐る恐る見廻わしていた……が、そのうちに、その両方の眼にキラキラと光る涙を一パイに溜めた。グッタリとうなだれて、石の床の上に崩折《くずお》れ座りつつ、白い患者服の袖《そで》を顔に当てたと思うと、ワッと声を立てながら、寝台の上に泣き伏してしまった。
私はいよいよ面喰った。顔中一パイに湧き出した汗を拭いつつ、シャ嗄《が》れた声でシャクリ上げシャクリ上げ泣く少女の背中と、若林博士の顔とを見比べた。
若林博士は……しかし顔の筋肉《すじ》一つ動かさなかった。呆然となっている私の顔を、冷やかに見返しながら、悠々と少女に近付いて腰を屈《かが》めた。耳に口を当てるようにして問うた。
「思い出されましたか。この方のお名前を……そうして貴女《あなた》のお名前も……」
この言葉を聞いた時、少女よりも私の方が驚かされた。……さてはこの少女も私と同様に、夢中遊行状態から醒めかけた「自我忘失状態」に陥っているのか……そうして若林博士は、現在、私にかけているのと同じ実験を、この少女にも試みているのか……と思いつつ、耳の穴がシイ――ンと鳴るほど緊張して少女の返事を期待した。
けれども少女は返事をしなかった。ただ、ちょっとの間《ま》、泣き止んで、寝台に顔を一層深く埋めながら、頭を左右に振っただけであった。
「……それではこの方が、貴方とお許嫁《いいなずけ
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