思議な絵巻物の力を、科学の力で打ち破って、その呪咀《のろい》がこの児にかからないようにして下さい。是非是非お頼みしますから……。
[#ここで字下げ終わり]

 ……という涙ながらの話だ。
 ……Mは呆れた。且《か》つ喜んだ。なる程それではイクラ探しても判明《わか》らない筈だ。吾々の捜索方針と絵巻物の隠れ処が、ちょうど鼬《いたち》ゴッコ式に入り違いになって行ったので、二人とも絵巻物の無い方へ無い方へと捜索して行った訳だ。偶然の作用を推理の力で追っかけたんだから見付からないのも無理はない。……なぞと独りで北叟笑《ほくそえ》みながら、T子にも内証でコッソリ姪の浜へ来て、如月寺の本堂へ忍び込んで、御本尊の首を抜いてみると……。
 ……あとは説明しない……しても説明にならないから……」
「……………」
「裁判長の判断に任せる」
「……………」
「……WとMのその後の行動によって……否、今日只今、この仮法廷に於て……吾輩という検事の論告と、Mという被告の陳述を憑拠《ひょうきょ》として、絵巻物の行衛を推断してもらうよりほかに方法はない」
「……………」

「……Mは黙々として寒風に吹かれながら姪の浜から帰って来た。いつかはその絵巻物の魔力……六体の腐敗美人像に呪咀《のろ》われて……学術の名に於てする実験の十字架に架けられて、うつつない姿に成果《なりは》てるであろう、その可愛らしい男の児の顔を眼の前に彷彿させつつ……同時にその母子《おやこ》の将来に、必然的に落ちかかって来るであろう大悲劇に直面した場合に、ビクともしない覚悟と方針とを考えまわしつつ……」
「……………」
「……彼は松園の隠れ家に何喰わぬ顔をして帰って来ると、何も知らずに添乳《そえぢち》をしているT子に向って誠しやかな出鱈目《でたらめ》を並べた。……絵巻物は和尚か誰かが、取出してどこかに隠したものと見えて、弥勒様の胎内にはモウ見当らなかった。しかしこっちから請求して貰って来る訳にも行かない品物なので、そのまま諦らめて帰って来た。いずれ自分が学士になって大学に奉職する事にでもなったならば、その時に大学の権威で、学術研究の材料として提供させても遅くはないであろう。ところで絵巻物の問題はそれでいいとして、実は自分の故郷の財産の整理がこの歳暮に押し迫っているので、困っている。兎《と》にも角《かく》にも大急ぎで帰って来なければならないのだ。その序《ついで》に、お前達の戸籍の事も都合よく片付けて来たいと思うから、用事が出来たらコレコレ斯様斯様《かようかよう》の処へ通信をするがいい……といったような事で話の辻褄《つじつま》を合わせて、渋々ながら納得をさせると、その翌々日の福岡大学最初の卒業式をスッポカシて上京してしまった。しかもそのまま故郷へは帰らずに東京へ転籍の手続をして、全速力で旅行免状を手に入れて海外に飛び出した。これがこの時、既にMの心中に出来上っていた、来るべき悲劇に対する戦闘準備の第一着手であった。Wにだけわかる宣戦の布告であったのだ」
「……………」
「然るに、これに対するWの応戦態度はというと、頗《すこぶ》る落付き払ったものであった。殊勝気《しゅしょうげ》に白い服を着込んで、母校の研究室に居据ってしまった。そうして一切を洞察していながら、何喰わぬ顔で顕微鏡を覗いていたのであった」
「……………」
「WとMの性格の相違は、その後も引続いて発揮された。すなわちMは、欧米各地の大学校を流れ渡って、心理学や遺伝学、又はその頃から勃興しかけていた精神分析学なぞを研究しつつ、一方に内地の官報や新聞を通じて、Wの動静に注意を払いつつ時季を待っていた。これはその男の児に、Mの苗字を冠《かぶ》せるのを嫌ったのと、モウ一つは、T子の追求を避けるためであった。……というのは女としては珍らしい冴えた頭脳《あたま》を持っているT子がもし、Mの行衛不明と、如月寺の絵巻物の紛失事件を綜合して考えた場合には、遅かれ早かれ或る恐ろしい、一つの疑いに直面《ぶつか》るにきまっている。WとMが何故にあの絵巻物を欲しがったかという理由を色々と考えまわすにきまっている。そうして万に一つも女の頭の敏感さと、母性愛の一所懸命さとで、二人が絵巻物を欲しがっている、そのホントウの下心を想像し得るような事があったならば、何はともあれMに疑いをかけて、眼の色を変えて追いかけて来るであろう。場合によっては国境だろうが何だろうが乗越えて追求しかねない女である事が、Mには解り過ぎるくらい解っていたからである。
 ……然るにこれに対するWは、それと知ってか知らずにか、相も変らず悠々と落付き払っていた。自分の名前や行動を公々然と曝露していたのは無論のこと、『犯罪心理』だの『二重人格』だの『心理的証跡と物的証跡』なぞいう有名な研究を次から次に発
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