我家の中でこれも同じく一種の変態性慾に囚《とら》われている処女……義妹《いもうと》の芬氏《ふんし》に引っかけられて美事な背負《しょ》い投げを一本喰わされると、その強烈深刻な刺戟から一ペンに切り離されてしまった。最後の最後まで自分の意識を突張り支えていた烈火のような変態性慾が、その燃料と共に消え失せて、伽藍洞《がらんどう》の痴呆状態に成り果てた。そうしてその変態的に捩《よ》じれ曲るべく長い間、習慣づけられて来た性慾と、これに絡み付いている、あらゆるモノスゴイ記憶の数々を一パイに含んだ自分の胤《たね》を後世に残して死んだ……するとこの胤が又、生き代り死に代り明かし暮して来て、呉一郎に到って又も、愕然として覚醒する機会を掴んだ。呉一郎の全身の細胞の意識のドン底に潜み伝わっていた心理遺伝……先祖の呉青秀以下の代々によって繰返し繰返し味い直されて来た変態性慾と、これに関する記憶とは、その六個の死美人像によって鮮やかに眼ざめさせられた……すなわち、この絵巻物を見た後《のち》の呉一郎は、呉一郎の形をした呉青秀であった。一千年前の呉青秀の慾求と記憶が、現在の呉一郎の現実の意識と重なり合って活躍する……それが夢中遊行以後の呉一郎の存在であった。『取憑《とりつ》く』とか『乗移る』とかいう精神病理的な事実を、科学的に説明し得る状態はこの以外にないのだ」
「……………」
「……この深刻、痛烈を極めた変態性慾の刺戟の前には、呉一郎自身に属する一切の記憶や意識が、何の価値もない影法師同然なものになってしまった。今まで呉一郎を支配して来た現代的な理智や良心の代りに、一千年月の天才青年の超無軌道的な、強烈奔放な慾求が入れ代ったのだ。そうしてその記憶の中《うち》にタッタ一つ美しいモヨ子……一千年前の犠牲であった黛《たい》夫人に生写《いきうつ》しの姿がアリアリと浮出した」
「……………」
「……一千年後に現われた呉青秀の変態性慾の幽霊はかくして現代青年の判断力や、記憶や、習慣を使って無軌道的な活躍を初めた。姪の浜の石切場を出ると飛ぶように急いで家に帰って、モヨ子と何かしら打合わせた。多分、母屋《おもや》の雨戸の掛金を内側から外《はず》しておく事や、土蔵《くら》の鍵だの、蝋燭だのいうものを用意しておく事であったろうと思われるが……それから呉一郎は家中が寝鎮《ねしず》まるのを待って母屋へ忍び込んで、そっとモヨ子を呼び起した。……ところで無論モヨ子はこの時まで、こうした新郎の要求の真実《ほんとう》の意味を知らなかったようである。云う迄もなく呉一郎も、イザというドタン場までは故意《わざ》と真実の事を話さずに、高圧的な命令の形で、熱心に迫ったものらしいので、モヨ子も真逆《まさか》にそれ程の恐ろしい計劃とは知らずに、ただ当り前の意味に解釈して、非常に恥かしい事に思い思い躊躇していたらしい事が、戸倉仙五郎の話に出ている前後の状況で察せられる。……けれどもモヨ子は気質《きだて》が温柔《おとな》しいままに結局、唯々《いい》として新郎の命令に従う事になった。そいつを呉一郎の呉青秀は蝋燭の光りを便《たよ》りにして土蔵の二階に誘い上げた……という順序になるんだ。そこでその現場に関する調査記録を開いてみたまえ」
「……………」
「……それそれ。そこん処だ。階下より蝋燭の滴下起り……云々と書いて在るだろう。その百|匁《め》蝋燭の光りの前で、新郎と差向いになったモヨ子は、初めてその絵巻物を突き付けられながら……この絵巻物を完成するために死んでくれ……という意味の熱烈な要求を受けたに相違ない。しかもその絵を見ると、眼鼻立から年頃まで自分に生写しの裸体少女の腐敗像の、真に迫った名画と来ているのだからタマラない。腸《はらわた》のドン底まで震え上ると同時に卒倒して、そのまま仮死の状態に陥ってしまったものと考えられる……という事実を、その調査記録は『抵抗、苦悶の形跡なし』とか『意識喪失後に於て絞首』云々の文句で明かに想像させているではないか」
「……のみならずモヨ子がその後に於て、程度は余り深くないながらに自分と同姓の祖先に当る花清宮裡《かせいきゅうり》の双※[#「虫+夾」、第3水準1−91−54]姉妹《そうきょうしまい》の心理遺伝を、あの六号室で描《か》き現わしている事実に照してみると、その仮死に陥った瞬間というのは、彼《か》の土蔵の二階で、呉一郎がサナガラに描き現わした一千年前の呉青秀の心理遺伝の身ぶり素振りによって、モヨ子が先祖の黛《たい》、芬《ふん》姉妹《きょうだい》から受け伝えていたマゾヒスムス的変態心理の慾望と記憶とを、ソックリそのままに喚起《よびおこ》された刹那《せつな》であったろうという事も、併せて想像されて来るではないか」
「……………」
「……但《ただし》。こういうと不思議に思うか
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