《うしな》ってしまって、殆ど別人かと思われる残忍、酷烈な、且つ一種異様な興味に駆られた、元気溌溂たる人間に変って来ておりますことを……。
 しかし、これは決して怪しむべき現象ではありませぬ。昔から或る仕事の大家とか、又は或る技術の名人とか天才とか呼ばれる人間が、自分の仕事に熱中して参りますと、その疲労から来る異常な興奮と、超自然的な神経の冴えが生み出す妄覚等によって、平生とはまるで違った心理状態になって、一見極めて非常識に見える事に深刻な興味を持ったり、又は変態怪奇を極めた所業《しわざ》を平気で演じて行く例《たとえ》は、随分沢山に伝わっておりますので……況《いわ》んや若林博士のような特殊な体質と頭脳を持った人間が、斯様《かよう》な古今に類のないであろう事業……闇黒の中に絶世の美少女の仮死体を蘇生させるという、玄怪微妙な仕事が済むと間もなく、今度は世にも珍らしく、酷《むご》たらしい少女の虐殺屍体を、無二無三に斬りさいなむという、異常を超越した異常な作業にかかっているのですから、その神経が、どんな程度にまで昂進して、その心理が如何なる方向に変形して来ているかは到底常人の想像し得るところではありますまい。
 そうした不可解な心理を包んだ黒怪人物……若林博士は、かくして間もなく、少女の胸腹部を、咽頭の処まで縫合せ終りますと、最後に一際《ひときわ》鋭い小型のメスを取上げて、四一四号の少女の顔面に立向いました。
 まず、右の眼の縁へズクリとメスを突立てますと、恰《あたか》も同博士独特の毒物の反応検査を試みるかのように、両眼をグルリグルリと抉《えぐ》り出してしまいましたが、例によって、別に眼底を検《あらた》めるでもなく、そのまま直ぐに元の眼窩《がんか》に押込んでしまいました。次には、その中間の鼻梁《びりょう》を、奥の方の粘膜が見える処までガリガリと截《た》ち割りました。それから唇の両端を耳の近くまで切り裂いて、咽頭が露われるまでガックリと下顎を引卸しました。
 屍体の顔はかようにしてトテモ人間とは思われぬまでに変形してしまいましたが、これを又モトの通りに一個所|毎《ごと》に縫い合せました黒衣の巨人は、ホッと一息する間もなく、ガーゼと海綿を取上げてアルコールをタップリと含ませながら、汚れた処を一々叮嚀に拭上げますと、やがて今までとはまるで相好の変った、誰が誰やらわからぬ奇妙な恰好の屍体が一個出来上ってしまいました。
 黒衣の博士はここでヤット一息入れますと、解剖台の上と下とに横たわる二人の少女の肉体を繰返し繰返し見較べておりましたが、そのうちに、二重の手袋を左右とも脱ぎ棄てまして、傍《かたわら》の机の上に在る固練白粉《かたねりおしろい》を掌《てのひら》で溶きながら、一滴も澪《こぼ》さないように注意しいしい、四一四号の少女の顔、両肩、両腕と、腰から下の全部にお化粧を施し初めました。
 ……ところでその手附を御覧下さい。いかがです。粗《あら》い縫目や、又は毛髪の生際《はえぎわ》なぞに白粉が停滞しないように注意しつつ、デリケートに指を働らかせて行くところは、如何にも斯様な化粧品を扱い慣れている手附では御座いませんか。
 これは恐らくこの博士が、自身に何回となく変相をした経験があるせいでは御座いますまいか。それともこの博士の裏面的性格から来た、飽く事を知らぬ変態的趣味と、法医学的研究趣味とが相俟《あいま》って、伝え聞く数千年前の「木乃伊《ミイラ》の化粧」式な怪奇趣味にまで、ズット以前《まえ》から高潮しておりましたのが、斯様な機会に曝露したもので御座いましょうか。いずれに致しましてもあのように青黒い、又は茶色に変色した虐待致死の瘢痕《はんこん》を砥《といし》の粉で蔽《おお》うて、皮膚の皺や、繃帯の痕《あと》を押し伸ばし押し伸ばしお白粉《しろい》を施して行く手際なぞは、実に驚くべきもので、多分遊廓の遣手婆《やりてばば》が、娼妓の病毒を隠蔽する手段なぞから学んだもので御座いましょうか……とうとう色の黒い、傷だらけの少女の肌を、色の白い少女の皮膚の色と変らない程度にまで綺麗に塗上げてしまいました。それから口紅、頬紅、黛《まゆずみ》、粉白粉なぞを代る代る取上げて、身体各部の極く細かい色の変化を似せて、大小の黒子《ほくろ》までを一つ残らずモデルの通りに染め付けた上に、全身の局部局部の毛を床の上の少女と比較しつつ、理髪師も及ばぬくらい巧みに染め上げて、一々香油を施しました。
 ……と思うと今度は、手近い机の抽斗《ひきだし》を開いて赤、青、紫、その他の検鏡用のアニリン染料を、梅鉢型のパレットに取って、新しい筆でチョイチョイチョイと配合しながら、首のまわりの絞殺の斑痕を、実物と対照して寸分違わぬ色と形に染付け始めましたが、これとても実に巧妙、精緻を極めたもので、浮上っ
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