頭脳と、厭人《えんじん》的にハニカミ勝《がち》な性格に押え付けられているらしく思われるのであります。……とは申せ、随分と著しい特徴でありますから、この少年が解放治療場に参りましてから後《のち》の、長い長い心理遺伝の発作の途中、もしくはその回復期に於て、いつかはそうしたこの少年の腮の性格……感傷的な、もしくは激情的な気質が、あらわれるに違いないであろう事を、正木博士は楽しみにして待っておられた次第で御座います。
 ……以上述べましたところで、この呉一郎と申す少年の骨相は、あらかた、おわかりになった事と存じます。斯様《かよう》に色々な人種系統の特徴を、造化の神は如何にして、これ程まで端麗明朗に、且つ、純真美妙に取り合わせたかという事を考えますと、誠に気味が悪くなります位で……科学の権威とか、人智の進歩とかを一枚看板にしてオマンマを頂いております私共も、こうした生きた芸術の傑作に接しましては、唯、気を呑み、声を呑んで、頭を下るよりほかに致方《いたしかた》がないのであります。
 次にはこの少年の心理遺伝を中心とする事件の推移が、如何に奇々怪々なるプロットを以て正木博士の眼界に……オット違った。同博士が自分の頭蓋骨と名付くる「天然色、浮出し、発声映画撮影機の暗箱」に取付けている二つの眼球のレンズと、左右の耳朶《じだ》のマイクロフォンに、如何なる順序で、そうした事件の推移が印画されて来たかという事を、その順序通りに廻転して行くフィルムに就て説明して参ります。……【溶暗[#「溶暗」は太字]】

 【字幕[#「字幕」は太字]】 九州帝国大学、法医学教室、屍体《したい》解剖室内の奇怪事……大正十五年四月二十六日夜撮影――
 【説明[#「説明」は太字]】 あらわれましたる映画は御覧の通り隅から隅まで、どこがドコやら、何が何やらわかりませぬ。漆《うるし》のような闇黒《あんこく》な場面で御座います。従って説明の致しようもない訳で御座いますが、しかしよく御覧下さい。繻子《しゅす》か天鵞絨《びろうど》か、暗夜《やみよ》の鴉《からす》模様かと思われるほど真黒いスクリーンの左上の隅に、殆ど見えるか見えない位の仄青《ほのあお》い、蛍のような光りの群れが、不規則な環の形になって漂うているのが、お眼に止まりましょう。……あれは最近大流行を致しておりまする猫イラズで自殺を遂げた芸妓《げいしゃ》の胃袋の中のものが、硝子《ガラス》の皿の中から燐光を放っているので御座います。
 あれをお認めになりましたならば、賢明なる諸君は、もはやこの闇黒が、尋常一様の闇黒でない事を充分に御推察になった事と信じます。……すなわちこの闇黒は九州帝国大学、法医学教室の一隅に在る、屍体解剖室内の暗夜の状態を、すぐ横の階段下の物置から、天井裏へ潜り込んだ処に在る、板の隙間から窺《のぞ》いている光景で御座います。
 この天井裏の覗《のぞ》き穴は、よく出歯亀《でばかめ》心理に囚《とら》われた小使や、又は好奇心に駆られた新聞記者なぞがコッソリと屍体解剖を覗く処で御座いますが、よほど古くから在るものと見えまして、穴の内側の処が、爪やナイフでY字形に削《けず》り拡げられておりまして、すこし顔の向きを換えさえすれば、部屋の下半部の隅々までも手に取る如く見廻されます……のみならず、少々窮屈では御座いますが、物置の棚の上に足を伸ばしますると、三等列車に乗ったのよりもズット楽な気分で寝ている事が出来ますからまことに重宝で……件《くだん》の燐光を放っておる不浄な皿は、実は向側の隅の机の上に置いてあるので御座いますが、真上から見下して撮影致しておりますために、あのようにフィルムの上方に見えておるので御座います。
 なおこの室内に在りますものが、あの皿一つでない事は申すまでもありませぬ。しかも両側の窓の鎧戸《よろいど》や、入口の扉が、固く鎖《とざ》されておりまするために、この部屋の闇黒の度合は極めて深くなっておりますので、あの汚物の燐光が辛うじて認められます以外には、何一つ発見出来ませぬ。どこかでシイ――インと湯が湧いているような、死んだような静寂の裡に、正木博士撮影の「天然色、浮出し、発声映画」のフィルムはただ、漆のように黒く、時の流れのように秘《ひめ》やかに流れて行くばかり……五十尺……百尺……二百尺……三百尺…………。
 ……そもそも正木博士は、何の必要があってか、御苦労千万にも、その双耳、双眼式、天然色、浮出し、発声映画の撮影|暗箱《カメラ》を、この解剖室の天井裏まで担《かつ》ぎ上げたものであろう……如何なる目的の下に、斯様《かよう》な詰らない闇黒の場面を、いつまでもいつまでも辛棒強く凝視した……否、撮影し続けたものであろう……堂々たる大学教授の身分でありながら、斯様な鼠と同様の所業に憂身《うきみ》をやつすとは
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