これを理解し、又はこれに共鳴感激して、国家とか社会とかいう大集団を作って共同一致、人類文化を形成して行く。その創造力の深遠広大さはどうであろう。そのような、殆ど全智全能ともいうべき大作用のすべては、帰納するところ、結局、最初のタッタ一粒の細胞の霊能の顕現《あらわれ》でなければならぬ。換言すれば現代人類の、かくも広大無辺な文化と雖《いえど》も、その根元を考えてみると、こうした顕微鏡的な存在に過ぎない細胞の一粒の中に含まれている霊能が全地球表面上に反映したものに外ならぬのである。
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◇備考[#「◇備考」は太字] 斯様《かよう》に偉大な内容を持つ細胞の大集団が、脳髄の仲介によって、その霊能を唯一つ、即ち各細胞共通、共同の意識下に統一したものが人間である。だからその人間があらわす知識、感情、意志なぞいうものは、細胞一粒一粒のソレよりも遥かに素晴しいものでなければならない筈であるが、事実はその正反対になっているので、世界初まって以来、如何なる賢人、又は偉人と雖《いえど》も、細胞の偉大な霊能の前には無力同然……太陽の前の星の如く拝跪《はいき》しなければならない。すなわち人間の形に統一された細胞の大集団の能力は、その何十兆分の一に当る細胞の能力の、その又何十兆分の一にも相当しないという奇現象を呈している。これは人間の身体各部に於ける細胞の霊能の統一機関……すなわち脳髄の作用が、まだ十分の進化を遂げていないために、細胞の霊能の全分的な活躍が妨げられているものと考えられる。同時に、地上最初に出現した生命《いのち》の種子《たね》である単細胞が、地上に最初に出現した時の初一念? とその無限の霊能が、その霊能を地上に具体的に反映さすべく種々の過程を経て、最有利、有能な人間にまで進化して来て、まだまだ有利、有能な生物に進化して行きつつある。その過渡期の未完成の生物が現在の人間であるがために、斯様《かよう》な矛盾、不都合な奇現象があらわれて来るものとも考えられる次第である。しかしこの事は極めて重大な研究事項で、一朝一夕に説《と》き尽し得べき限りでないからここには唯参考として一言しておくに止める。
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而《しか》して人間の肉体、及び精神と、細胞の霊能との関係が、斯様に明白となった以上「夢」なるものの本質に関する説明も亦《また》、極めて容易となって来るのである。
すべての細胞はその一個一個が、吾々一個人の生命と同等、もしくはそれ以上の意識内容と、霊能を持っている一個の生命である。だから、すべての細胞は、それが何か仕事をしている限り、その労作に伴うて養分を吸収し、発育し、分裂、増殖し、疲労し、老死し、分解、消滅して行きつつある事は近代医学の証明しているところである。しかもその細胞の一粒一粒自身が、その労作し、発育し、分裂し、増殖し、疲労し、分解し、消滅して行く間に、その仕事に対する苦しみや、楽しみを吾々個人と同等に、否それ以上に意識している……と同時に、そうした楽しみや苦しみに対して、吾々個人が感ずると同等、もしくはそれ以上の聯想、想像、空想等の奇怪、変幻を極めた感想を無辺際に逞《たくま》しくして行く事は、恰《あたか》も一個の国家が興って亡びて行くまでの間に千万無量の芸術作品を残して行くのと同じ事である。
この事実を端的に立証しているものが、即ち吾々の見る夢である。
そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。
たとえば人間が、不消化物を嚥《の》み込んだまま眠っていると、その間に、胃袋の細胞だけが眼を醒ましてウンウンと労働している。……ああ苦しい。やり切れない。これは一体どうなる事か。どうして俺達ばっかりコンナに非道《ひど》い眼に逢わされるのか……なぞと不平満々でいると、その胃袋の細胞の涯《はて》しもない苦しい、不満な気持が、一つの聯想となって脳髄に反映されて行く。すなわちその苦しい思いの主人公が、罪の無いのに刑務所に入れられて、重たい鎖に繋《つな》がれて、自分の力以上の石を担《かつ》がせられてウンウン唸《うな》りながら働いているところ………不可抗的な大きな地震で、家の下敷になって、藻掻《もが》きまわって、悲鳴を上げているところなぞ……そのうちにその苦しい消化の仕事が楽になって来るとヤレヤレという気持になる。……そうすると夢の中の気持……脳髄に反映されて行く聯想や空想の内容も楽になって、山の絶頂で日の出を拝んでいるところだの、スキーに乗って素晴しいスロープを一気に辷《すべ》り下る気持だのに変る。
或《あるい》は
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