廻っている百万年前の象の世界が、脚下に展開して来るであろう。
それから更に、その百万年前の竜の世界、その又以前の鳥の世界、その又ズット以前の魚の世界、貝類の世界、スポンジの世界と、次第に進化の度の低い、小さな生物ばかりの世界へ超スピードで引返して、遂に六億万年前の古世代までやって来ると……ドウダ……天地を覆《くつがえ》す大噴火、大雷雨、大海嘯《おおつなみ》、大地震の火煙《ひけむり》、水けむり、土煙《つちけむり》が、あとからあとから日月を蔽《おお》いながら渦巻きのぼっているこの世界の若々しさはドウダ。地球の元気さはドウダ。
そこでこの地表に泡立ち漂っている塩分の薄い、摂氏四十度内外の温度を保っている海水の一滴を採取して、顕微鏡にかけて覗いてみたまえ。諸君は眼の前に、無量無数に浮游している単細胞生物の拡大像を発見するであろう。将来一切の生命の共同の祖先となるべき元始細胞の大群集を、さながらに見渡し得るであろう。……しかもこの元始細胞こそは地球の表面が、御覧の通りの天変地妖を起しながら、少し宛《ずつ》少し宛冷却して来るうちに、あとからあとから作り出して来た色々な化合物の中でも、一番最後に出来た最高等複雑なものであった。諸原素の活力を最も円満、敏活に発揮し得るように化合させた微妙精英の有機体……あめ[#「あめ」に傍点]、の[#「の」に傍点]、みなかぬし[#「みなかぬし」に傍点]の正統、エホバの愛《いと》し児《ご》、日の神の王子ホルスとも称《たた》うべき、地上最初の生命の群れに外ならなかったのだ。
だからこの元始細胞の一粒一粒は、その環境の変化に応じてアラユル意識だの、感情だの、判断力だのを現わし得る、無限の霊能を持っていたものである。自分以外の無機物、有機物を同化して、自己を増大し分裂すると同時に、その分裂した近所合壁《きんじょがっぺき》の細胞同志に、お互いの感覚や意識を反射交感させ合う霊能までも一緒に持っていたのだ。
その証拠に見たまえ……諸君の眼の前で、今の元始細胞が盛んに自己を分裂増大して、その形態と能力をグングン進化させ初めたではないか。その霊能でもって見る見るうちに成長し、分裂し、結合し、反射交感して、一心同体となって共鳴、活躍しつつ、自分達の共産的霊能を飽くまでも地上に発揮すべく、次第に高等複雑な姿に進化し初めたではないか。そうして……
「最早《もう》、ここまで進化したら天下無敵だろう。オレサマ以上に進化した奴は他にいないであろう」
と安心して、自惚《うぬぼ》れ切った奴が、そうした得意時代の姿をソックリそのまま、スポンジ、貝類、魚、鳥、獣《けもの》という風に、それぞれの子孫に伝えて来るうちに……ドウダ……いつの間にか今日の通りの複雑多様、千変万化のありとあらゆる生物界を、諸君の眼の前に展開させて来たではないか。
……ところで見たまえ。
コンナに色々と千差万別している動物たちの中でも、進化の度合いの極めて低い、海月《くらげ》以下の動物連中は、御覧の通り脳髄とか、神経|粒《りゅう》とかいうハイカラなものを持っていないだろう。大昔の通りに全身の細胞同志の反射交感作用でもって、あらゆる感覚を全身同時に意識し合いつつ、考えて、動いて、喰って、寝て、生きているだろう。
ところが吾々みたように高等複雑な進化を遂げた動物になって来ると、御承知の通り、意識の内容が非常に立て込んで来る。細胞同志の距離間隔《へだたり》もだんだんと遠くなって『あんな処まで俺の身体《からだ》かしら』なぞと、湯槽《ゆぶね》の中で趾《あしゆび》を動かしてみる位にまで長大な姿になっている。だから、手足や、眼鼻が専門専門で分業になっているように、意識の方でも『脳髄』と名付くる自動式、複式、反射交感局を作って、全身三十兆の細胞同志の感覚や、意識を縦横ムジンに反射交感させつつ、全身一斉に……俺は俺だぞ……俺はこうして生きているんだぞ……という気持になっているのだ。
吾々の全身三十兆の細胞は、かようにして、流れまわっている赤血球、白血球から、固い骨や、毛髪の尖端に到るまでも、吾々が感じている意識の内容をソックリそのままの意識内容を、その一粒一粒|毎《ごと》に、同時に感じ合って、意識し合っているのだ。
眼の球《たま》ばかりで物を見る事は出来ない。耳ばかりで音は聞えない。その背後《うしろ》には必ずや、全身の細胞の判断感覚がなければならぬ。
同様に脳髄が、脳髄ばかりで物を考えたり、感じたりする事は不可能である。その背後《うしろ》には必ずや全身の細胞相互の主観、客観がなければならぬ。さもなければ人間の脳髄は、銀幕と観衆を喪失《なく》した活動写真機と同様の無意義なものになってしまうのだ。
しかも、その脳髄によって仲介された全身の意識の、反射交感作用の敏活な事とい
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