ために、コンナ灰白色の蛇のトグロ巻きみたようなものを、頭蓋骨の屋根裏に納めて御座るのだろう……。
 という難問に引っかけて、ヘポメニアス氏の頭を幾日幾夜となく悩まし苦しめたのだ。
 ……ハアテ……この蛋白質の団塊《かたまり》は、泪《なみだ》と鼻汁の製造場のようにも見えるし、所謂《いわゆる》、章魚《たこ》の糞《くそ》に類似した物のようにも思える。人間と名付くる建築物《たてもの》の屋根裏に在るところを見ると、貴重な滋養分の貯蔵タンクではないかとも思えるし、小腸とおんなじような曲線でヌタクッているところから想像すると、何かの消化器官のようにも考えられる。……ハテ。何だろう……わからないわからない……。
 といった風に散々に首をひねらせ、苦心惨憺させ、昏迷疲労させた。そうしてトウトウ何が何だか解らなくしてしまったあげく、ヘポメニアス氏の頭蓋骨の内側を、シンシンと痛み出させたのであった。
 偉大なる天才科学者ヘポメニアス氏はここに於て、トウトウ物の美事に、自分の脳髄のトリックに引っかかってしまったのであった。そうして机を叩いて躍り上がったのであった。
「……わかったッ……脳髄は物を考える処だッ。その脳髄を使い過ぎたためにコンナに頭が痛み出して来たんだッ……」
 ……と……。

 そこでその科学者は直ちにメスを執《と》って、その脳髄を取出した屍体の全部を十万分の一ミリメートルの薄さに切り刻《きざ》んだ。そうして人体の各器官を形成する三十兆の細胞群が、隅から隅まで一粒残らず、脳髄を中心とした神経細胞の糸を引き合っている事実を確かめるや否や、死人の脳髄を両手に捧げて、一気に往来へ飛び出した。
「……わかったぞッ。わかったぞッ。何もかもわかったぞッ……。
 生命の本源を神様の摂理だなぞというのは嘘だ。神様は人間の脳髄が考え出したものに過ぎないのだ。
 ……この脳髄を見よ……。
 生命の本源はこの千二百|瓦《グラム》、乃至《ないし》、千九百瓦の蛋白質の塊《かた》まりの中に宿っているのだ。吾々の精神意識というものは、この蛋白質の分解作用によって生み出された、一種の化学的エネルギーの刺戟に外ならないのだ。
 ……すべては脳髄の思召《おぼしめ》しなのだ……。
 科学の発見した脳髄こそ、現実世界に於ける全知全能の神様なのだ」
 ……と……。

 当時の基督《キリスト》教の迷信と僧侶の堕落腐敗に飽き果てていた尖端人種は、これを聞くや否や大喝采裡に共鳴した。吾《わ》れも吾れもとヘポメニアス氏の迷説を丸呑みにした。『脳髄は物を考えるところ』という錯覚を、プレミヤム付きで迷信してしまった。
「そうだそうだ。この世界には神様なんか存在しないんだ。すべては物質の作用に外ならないんだ。吾々は吾々の頭蓋骨の中に在る蛋白質の化学作用でもって、新しい唯物文化を創造して行《ゆく》んだぞッ……」
 ……と……。

 かくして物の美事に人間世界から神様を抹消《ノックアウト》した『物を考える脳髄』は、引続いて人間を大自然界に反逆させた。そうして人間のための唯物文化を創造し初めた。
 脳髄はまず人間のためにアラユル武器を考え出して殺し合いを容易にしてやった。
 あらゆる医術を開拓して自然の健康法に反逆させ、病人を殖《ふや》し、産児制限を自由自在にしてやった。
 あらゆる器械を走らせて世界を狭くしてやった。
 あらゆる光りを工夫し出して、太陽と、月と、星を駆逐してやった。
 そうして自然の児《こ》である人間を片《かた》っ端《ぱし》から、鉄と石の理詰めの家に潜り込ませた。瓦斯《ガス》と電気の中に呼吸させて動脈を硬化させた。鉛と土で化粧させて器械人形《ロボット》と遊戯させた。
 そうしてアルコールと、ニコチンと、阿片《アヘン》と、消化剤と、強心剤と、催眠薬と、媚薬と、貞操消毒剤と、毒薬の使い方を教えて、そんなもののゴチャゴチャが生み出す不自然の倒錯美[#「不自然の倒錯美」に傍点]をホントウの人類文化と思い込ませた。……不自然なしには一日も生存出来ないように、人類を習慣づけてしまった。
 ……そればかりでない……。

 人間世界から『神様』をタタキ出し、次いで『自然』を駆逐し去った『物を考える脳髄』は、同時に人類の増殖と、進化向上と、慰安幸福とを約束する一切の自然な心理のあらわれを、人間世界から奪い去った。すなわち父母の愛、同胞の愛、恋愛、貞操、信義、羞恥、義理、人情、誠意、良心なぞの一切合財を『唯物科学的に見て不合理である。だから不自然である』という錯覚の下に否定させて、物質と野獣的本能ばかりの個人主義の世界を現出させた。そうして人類文化を日に日に無中心化させ、自涜《じとく》化させ、神経衰弱化させ、精神異状化させて、遂に全人類を精神的に自滅、自殺化させた虚無世界の十字街頭に、赤い灯、青い灯
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