未曾有式超特急の脳髄学大博士を飛び出させているのだ。脳髄に関する従来の汎世界的迷信を一挙に根柢から覆滅《ふくめつ》させて、この大悪魔「脳髄」の怪作用……ノンセンスの行き止まり……アンポンタンの底抜けとも形容すべき簡単、明瞭な錯覚作用の真相を、煌々《こうこう》たる科学の光明下に曝《さ》らけ出し、読者の頭をグワ――ンと一撃……ホームランにまで戞飛《かっと》ばさせている……という筋書なんだがドウダイ……読者に受けるか受けないか……。
 ナニ。まだわからない……もう些《すこ》し聞いてみなければ……。
 何だって……空想小説じゃないかって……。怪《け》しからん……。だから一番最初に「科学探偵事実小説」と断っているじゃないか。空想なんてものをコレンバカリも取入れたら、全篇の興味がゼロになってしまうじゃないか。むろんそうだとも……初めから一分一厘ノンセンスものじゃないんだから安心して聞き給え。そんな甘物じゃない事が、その中《うち》にわかって来るんだよ。いいかい……。
 ところでその青年名探偵、兼、脳髄学の大博士は、吾輩が仮りにアンポンタン・ポカン君と名付けている二十歳ばかりの美青年なんだ。いいかい……むろん実在の人物なんだよ。しかもその美青年は古今無双のいい頭を持っているにも拘わらず、非常に危険な遺伝的、精神病の発作にかかったので、この大学に入学すると間もなく、この教室の附属病院に収容する事になった。
 ……ナアニ……ヨタじゃないったら……恐ろしく疑い深い読者だね君は……虚構《うそ》だと思うならイツ何時《なんどき》でも本人に紹介してやるよ。スグこの向うの七号室に居るのだから訳はない。「オイ。ポカン君……」と呼ぶと、ビックリしたように振り返る横顔がタマラなく可愛いよ。
 ところでこのシークボーイ……アンポンタン・ポカン君は、その遺伝発作を起して人事不省に陥ったあとで、ヤット正気を取返すと間もなく、自分の生れ故郷や、両親の名前は勿論のこと、自分自身の名前までもキレイに忘れてしまっている事を、自分自身に気が付いた。そこで取りあえず吾輩からアンポンタン・ポカン博士の名誉ある称号を頂戴している訳だが、ポカン博士自身も元来のアタマが良《い》いだけに、この事が非常に気になるらしく、毎日毎日夜も昼もブッ通しに、病室の中の人造石の床を歩るき廻って、自分の脳髄の事ばかり考えているらしいのだ。……「わからないわからない。いったい僕の脳髄は今まで何をしていたのだろう……何を考えていたのだろう」とか又は「僕の脳髄が僕の全身を支配しているのか……それとも僕の全身が僕の脳髄を支配しているのか……解らない解らない」……といったような事を口走っては、蓬々《ぼうぼう》と伸びた自分の頭の毛を掻きまわしたり、拳固《げんこ》でコツンコツンと後頭部をなぐり付けたりしいしい、一分間も休まずに、部屋の中をグルグルと歩きまわっているのだ。
 ところが、そのうちに、ソンナ発作がダンダンと高潮して来るとポカン博士は、やがて部屋のマン中の人造石の床の上に立止まって不思議そうにキョロキョロとそこいらを見廻わし初める。そうして自分の蓬々たる頭の毛の中から、何かしら眼に見えないものを掴み出して、床の上に力一パイ叩きつける真似をする。それからその床の上にタタキ付けたものを指して、脳髄に関する演説を滔々《とうとう》と、身振《ゼスチュア》まじりに初めるのであるが、そのうちに自分の演説に感激して、興奮の絶頂《クライマクス》に達して来ると、ツイ今しがた自分の頭の中から掴み出して床の上にタタキ付けた眼に見えない或るものを、片足を揚げて一気に踏み潰す真似をすると同時に、ウーンと眼を眩《ま》わして床の上に引っくり返ってしまう。そうして約三四十時間も前後不覚の状態に陥って、昏々《こんこん》と眠り続けると、又もや、アンポンタン・ポカン然として眼球《めだま》をコスリコスリ起上るのだ。そうして前の通りに「わからないわからない」を繰返しながら部屋の中をグルグルと歩るきまわる。その中《うち》に又も、頭の中から眼に見えないものを取り出して足下の床の上にタタキ付ける。前後左右を見まわして、拳固を振り上げながら脳髄の演説を開始する。そうして何だか解からないものを床の上で踏み潰しては、ウーンと云って引っくり返る……というのが、この青年名探偵アンポンタン氏の日課になっているのだ。

 ……ところで面白いのはこのポカン博士の演説なんだ。
 ポカン博士が演説をする時は、何でもどこかの往来の烈しい、電車の交叉点か何かで、繁華な人ゴミの中に立ち止まっているつもりらしい。交通巡査みたいに大手を拡げて、前後左右の群集を睨みまわす恰好をすると、イキナリ拳固を空中に舞わしながら、金切声を振り絞り初めるのだ。
「……止まれッ……。
 ……止まれッ……。
 
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