実が解釈出来ない。あちらを立てればこちらが立たない。九尺二間に雨戸が二枚じゃ……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。九尺二間に雨戸が二枚じゃ。まして況《いわ》んや朝から晩まで。走馬燈籠《まわりどうろう》か百色眼鏡か。猫の眼玉じゃ、七面鳥じゃと。泣いて笑いつクルクルチラチラ。千変万化の秘術をつくす。人の心のその正体が。どんな姿の形のものやら。それがどうして狂うたものやら。酒屋の半七さんではないが。どこにどうして御座ろうものやら。ただの一つも解かっていませぬ。それが証拠は何より眼の前。今の精神病科の書物に。並び並んだ病気の名前じゃ。そんな書物を作った学者が。何が何やらわからぬまんまに。ザッと患者の表面《うわつら》眺めて。身振り素振りを引当て目当てに。つけもつけたり素人欺瞞《しろうとだま》しじゃ。色気狂《いろけぐる》いが色情狂だよ。人を殺せば殺人狂です。舞踏狂なら踊りを踊るの。放火狂なら放《つ》け火《び》をするのと。何の科学で調べた事かや。わかり切ったる名前の附け方。医者でなくとも誰でも附けます。怒《おこ》り上戸《じょうご》やアノ泣き上戸。笑い上戸に後引き上戸。梯子《はしご》上戸と世間の人が。酔うた姿を見かけの通りに。名前つけるとおんなじ流儀じゃ。これで診察出来るが奇妙じゃ……チャカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。
 ▼あ――ア。これで診察出来るが奇妙じゃ。サテモ精神病者を受け持つ。博士、学士の医者様たちは。人の心の狂うた処や。又は狂わぬ確かな証拠を。どこで調べて見分けて行くかと。不思議がるのは又素人だよ。そこは商売、心配無用じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。そこは商売、心配御無用。すべて精神病者と名付けて。遠方はるばるお医者の玄関《げんか》へ。連れて来られた人間ならば。誰が見たとて正気に見えない。かなり嵩《こう》じた連中ばかりじゃ。又は見かけが普通と変らぬ。落付き払った病人とても。家族連中や掛りのお医者が。チャントお上《かみ》へ手続き済まして。精神病者に相違が御座らぬ。不法監禁お構いなしじゃと。法律ずくめの許可証揃えて。正々堂々連れて来るから。お医者側では手数がかからぬ。家族連中の話の模様や。又は患者の態度《ようす》を眺めて。書物拡げて照し合わせて。似合相当の名前を付けたら。それで診察おわりというので。赤い煉瓦《れんが》へ打《ぶ》ち込むだけだよ。中には診察違いの者なぞ。ポツリポツリと居るかも知れぬが。これもやっぱり心配御無用。ほかの種類の病気と違うて。こいつばかりは誤診がわからぬ。一度「キの字」ときまるが最後じゃ。二度と出られぬ煉瓦の地獄じゃ。「違う違う」と云い訳したとて。それが、そのまま「キの字」の証拠と。今も昔も変らぬ運命《さだめ》じゃ。放火狂じゃと診察《みこみ》をつけて。八百屋お七を解剖したらば。何ぞ計《はか》らん色情狂だよ。窃盗狂者《どろぼうマニア》の標本《みほん》と思って。石川五右衛門入院させたら。誇大妄想狂者とわかった。なぞとお尻がハジケル心配。決してないから気楽なものだよ。テンカラ診察出来ない患者じゃ。何が何やらわからぬ病気じゃ。サテモ気楽なキチガイ医者だよ……スカラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。扨《さて》も気楽な精神病《キチガイ》医者だよ。ならば治療の仕方はどうかと。心配するだけ野暮天《やぼてん》、素人。これも、やっぱり診察同様。盲目《めくら》探りの真っ暗闇だよ。すぐに脳天砕かぬところが。開け行く世のお蔭か知らぬが。患者側から云わせて見たなら。どうか解からぬ証拠は眼の前。どこでも構わぬソンジョのそこらの。精神病院|覗《のぞ》いて御覧よ。鉄の格子の牢屋はもちろん。今の未決監《みけつ》や監獄なぞには。影も見せない道具の数々。鉄の鎖に袖無し襯衣《シャツ》だよ。手枷《てかせ》、足枷。磔刑《はりつけ》寝台じゃ。小窓開いた石箱なんぞが。ズラリズラット並んだ光景《ありさま》。どんな極重悪人とても。五体震わす拷問道具じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。五体震わす拷問道具じゃ。それに引換え入院患者の。心の狂いをホントに治癒《なお》す。薬器械のたぐいというたら。只の一つも見当りませぬ。眠らぬ患者に麻酔《まやく》の注射じゃ。騒ぐ者には鎮静剤だよ。物を喰わねば栄養物の。注射、浣腸《かんちょう》ぐらいのものです。下手な内科や外科にも劣る。あとは治癒《なお》ればお医者の手柄で。死ねば運じゃと済ましたもんだよ。アハハのエヘヘの平気の平左《へいざ》じゃ。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ。なれどここらはまだ小手調べじゃ。キチガイ地獄の三途《さんず》の川だ
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