神異状者でないものはない』という精神病理学の根本原理が、極めて痛快、卒直に論証してあります。……又……その次に『脳髄は物を考える処に非《あら》ず』云々と題してありますのは、そうした原理に立脚された正木先生が、今日まで研究不可能と目されていた『脳髄』の真実の機能をドン底まで明らかにされると同時に、従来の科学が絶対に解決出来なかった精神病その他に関する心霊界の奇怪現象を一つ残らず、やすやすと解決して行かれた大論文『脳髄論』の内容を、面白おかしく新聞記者に説明されたもので御座います。
……それからその下の方の日本罫紙の綴じたのに、毛筆で書いてありますのは、その『脳髄論』の逆定理とも見るべき『胎児の夢』の論文で御座います。つまり自分を生んだ両親の心理生活を初めとして、先祖代々の様々の習慣とか、心理の集積とかいうものが、どうして胎児自身に伝わって来たかという『心理遺伝』の内容が明示してありますので、当大学第一回の卒業論文の銓衡《せんこう》に一大センセーションを捲き起したのは実に、この一篇に外ならないので御座います。……同時に正木先生が、あれ程の偉材を抱きながら、遂に自決さるるの止むなきに立到りました遠い原因も亦《また》、実にこの一篇の中に胚胎していると申しましょうか……その次に在ります西洋大判罫紙《フールスカップ》の走り書きは、その正木先生がそれ等の研究に、最後の結論を附けるべく書き残されました『解放治療の実験の結果報告』とも見るべき正木先生の遺言書です……ですから貴方は、それ等の書類を、その順序に御覧になりさえすれば、正木先生が精神科学の大道を開拓すべく、生涯を賭《と》して研究して行かれた痛快な事蹟が、たやすく、順序正しくおわかりになるで御座いましょう。同時に、あなた御自身の御経歴を、裏面から支配して、今日の御運命に立ち到らせた、曠古《こうこ》の大学理の流動、旋転が、一々大光明を発して、万華鏡《まんげきょう》の如く華やかに、グルリグルリと廻転しつつ、あなたの眼の前に……」
私は若林博士の説明を、ここいらまでしか記憶していない。そんな説明を聞きながらも、何気なく一番初めの赤い表紙の小冊子を開いて、第一|頁《ページ》の標題から眼を通して行くうちに、いつの間にか本文に釣り込まれて、無我夢中に読み続けていたので……
キチガイ地獄外道祭文[#「キチガイ地獄外道祭文」は本文より5段階大きな文字]
[#ここから9字下げ]
――一名、狂人の暗黒時代――
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから地から3字上げ]
墺国理学博士
独国哲学博士 面黒楼万児《めんくろうまんじ》 作歌
仏国文学博士
[#ここで字上げ終わり]
▼ああア――アア――あああ。右や左の御方様《おんかたさま》へ。旦那|御新造《ごしんぞ》、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。きょうが初めてこの道傍《みちばた》に。まかり出《い》でたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
[#ここから1字下げ]
……サアサ寄った寄った。寄ってみてくんなれ。聞いてもくんなれ。話の種だよ。お金は要らない。ホンマの無代償《ただ》だよ。こちらへ寄ったり。押してはいけない。チャカポコチャカポコ……
……サッサ来た来た。来て見てビックリ[#「ビックリ」は太字]……スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ……
[#ここで字下げ終わり]
▼ア――あ――。まかり出でたるキチガイ坊主じゃ。背丈《せい》が五尺と一寸そこらで。年の頃なら三十五六の。それが頭がクルクル坊主じゃ。眼玉落ち込み歯は総入歯で。痩《や》せた肋骨《あばら》が洗濯板なる。着ている布子《ぬのこ》が畑の案山子《かかし》よ。足に引きずる草履《ぞうり》と見たれば。泥で固めたカチカチ山だよ。まるで狸の泥舟《どろぶね》まがいじゃ。乞食まがいのケッタイ坊主が。流れ渡って来た国々の。風に晒《さら》され天日《てんぴ》に焼かれて。きょうもおんなじ青天井《あおてんじょう》だよ。道のほとりに鞄《かばん》を拡げて。スカラカ、チャカポコ外聞晒す。曰《いわ》く因縁、故事、来歴をば。たたく木魚に尋ねてみたら……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼ア――あ。曰く因縁、木魚に聞いたら。親子兄弟、親類|眷族《けんぞく》、嬶《かかあ》も妾《めかけ》ももちろん持たない。タッタ一人のスカラカチャンだよ。氏《うじ》も素性《すじょう》もスカラカ、チャカポコ。鞄一つが身上《しんじょう》一つじゃ。親は木の股キラクな風の。吹くに任かせた暢気《のんき》な身の上。流れ渡った世界
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