世子の仇敵《かたき》を取りますよ。そのためには、僕がドンな眼に会おうとも、又、犯人が如何なる人間であろうとも驚きませんが……いいですか、先生……。その残忍非道な人間のために、こんな狂人《きちがい》地獄に陥れられて、一生涯、飼い殺しにされているなんて……僕にはトテモ我慢が出来ないのですから……」
「ウン……まあやって見るさ」
 正木博士は如何にも気のなさそうにこう云った。そうしてアヤツリ人形のようにピッタリと眼を閉じた、一種異様な冷笑を鼻の横に残して……。
 私は今一度座り直した。自分の無力を眼の前に自覚させられたような気がして、思わずカーッとなった。
「……いいですか先生。僕が自分で考えてみますよ。……まず仮りにこの犯人が僕でないとすればですね。まさか村の者の云うように、この絵巻物がひとり手に弥勒様の仏像から抜け出して、呉一郎の手に落ちるような事は、有り得る筈がないでしょう」
「……ウフン……」
「……又……伯母の八代子と、母の千世子も、呉一郎をこの上もなく愛して、便《たよ》り縋《すが》りにしている女ですから、こんな恐ろしい云い伝えのある絵巻物を呉一郎に見せる筈はありますまい。雇人《やといにん》の仙五郎という爺《じじい》も、そんな事をする人間ではないようです。……お寺の坊さんは又、呉家の幸福を祈るために呉家に仕えているようなものですから、巻物があると判ったら却《かえ》って隠す位でしょう。そうとすれば、他にまだ誰にも気付かれていない、意外な人間の中に、嫌疑者がある筈です」
「……ウフン。自然、そういう事になる訳だね」
 正木博士は変な粘《ねば》っこい口調で、不承不承にこう云った。それからチョット眼を開《あ》いて私を見た。その眼の色は、鼻の横の微笑とは無関係に、いかにも青白く残忍であった……と思う間もなく又、もとの通りにピッタリと閉じた。
 私は一層|急《せ》き込んだ。
「若林博士のその調査書類の中には、そんな嫌疑者について色々と心当りが、調べてあるんですね」
「……ないようだ」
「……エッ……一つも……」
「……ウ……ウン……」
「……じゃ……その他の事は、みんな念入りに調べてあるんですか」
「……ウ……ウン……」
「……何故ですか……それは……」
「……ウ……ウン……」
 正木博士は微笑を含んだまま、ウトウトと眠りかけているようである。その顔を見詰めたまま私は唖然と
前へ 次へ
全470ページ中395ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング