な桃色をしていた頬の色が、何となく淋《さび》しい薔薇《ばら》色に移り変って行くだけであったが、それだけの事でありながら、たった今まで十七八に見えていた、あどけない寝顔が、いつの間にか二十二三の令夫人かと思われる、気品の高い表情に変って来た。そうして、その底から、どことなく透きとおって見えて来る悲しみの色の神々《こうごう》しいこと……。
 私は又も、自分の眼を疑いはじめた。けれども、眼をこすることは愚か、呼吸《いき》も出来ないような気持になって、なおも瞬《またたき》一つせずに、見惚《みと》れていると、やがてその長く切れた二重瞼の間に、すきとおった水玉がにじみ現われはじめた。それが見る見るうちに大きい露の珠《たま》になって、長い睫毛にまつわって、キラキラと光って、あなやと思ううちにハラハラと左右へ流れ落ちた……と思うと、やがて、小さな唇が、微《かす》かにふるえながら動き出して、夢のように淡い言葉が、切れ切れに洩れ出した。
「……お姉さま……お姉さま……すみませんすみません。……あたしは……妾《あたし》は心からお兄様を、お慕い申しておりましたのです。お姉様の大事な大事なお兄様と知りながら……ずっと以前から、お慕い申して……ですから、とうとうこんな事に……ああ……済みません済みません……どうぞ……どうぞ……許して下さいましね……ゆるして……ね……お姉様……どうぞ……ね……」
 それは、そのふるえわななく唇の動き方で、やっと推察が出来たかと思えるほどの、タドタドとした音調であった。けれども、その涙は、あとからあとから新らしく湧き出して、長い睫毛の間を左右の眥《めじり》へ……ほのかに白いコメカミへ……そうして青々とした両鬢《りょうびん》の、すきとおるような生《は》え際《ぎわ》へ消え込んで行くのであった。
 しかし、その涙はやがて止まった。そうして左右の頬に沈んでいた、さびしい薔薇色が、夜が明けて行くように、元のあどけない桃色にさしかわって行くにつれて、その表情は、やはり人形のように動かないまま、健康《すこやか》な、十七八の少女らしい寝顔にまで回復して来た。……僅かな夢の間に五六年も年を取って悲しんだ。そうして又、元の通りに若返って来たのだな……と見ているうちにその唇の隅には、やがて和《なご》やかな微笑さえ浮かみ出たのであった。
 私は又も心の底から、ホ――ッと長い溜め息をさせら
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