の一隅には小さな短冊型の金紙が貼りつけてあるが、何も書いた痕《あと》はない。
「それが問題の縫《ぬ》い潰《つぶ》しという刺繍なんだよ。呉一郎の母の千世子は、それを手本にして勉強したに違いないのだ」
 と正木博士は投げ遣るように説明しつつ、クルリと横を向いて葉巻を吹かし初めた。しかし私も丁度そんなような聯想を頭に浮かめていたところだったので、格別驚きもせずにうなずいた。
 象牙の篦《へら》を結び付けた暗褐色の紐を解いて巻物をすこしばかり開くと、紫黒色の紙に金絵具《きんえのぐ》で、右上から左下へ波紋を作って流れて行く水が描いてあるが、非常に優雅な筆致《ふでつき》に見えた。私はその青暗い平面に浮き出している夢のような、又は細い煙のような柔らかい金線の美しい渦巻きに魅せられながら、何の気もなくズルズルと右から左へ巻物を拡げて行ったのであったが……やがて眼の前に白い紙が五寸ばかりズイとあらわれると、私は思わず……
「……アッ……」
 と叫びかけた。けれどもその声は、まだ声にならない次の瞬間に咽喉《のど》の奥へ引返してしまった。……巻物を両手に引き拡げたまま動けなくなってしまった。息苦しい程胸の動悸が高まって……。
 そこに横たわっている裸体婦人の寝顔……細い眉……長い睫毛《まつげ》……品のいい白い鼻……小さな朱唇……清らかな腮《あご》……それはあの六号室の狂美少女の寝顔に生き写しではないか……黒い、大きな花弁《はなびら》の形に結《ゆ》い上げられた夥しい髪毛《かみのけ》が、雲のように濛々《もうもう》と重なり合っている……その鬢《びん》の恰好から、生え際のホツレ具合までも、ソックリそのままあの六号室の少女の寝姿を写生したものとしか思われないではないか…………。
 しかしこの時の私には「何故」というような疑問を起す余裕がなかった。その寝顔……否、眠っているかのように見える表情の下から、微妙な彩色や線の働らきによって見え透いて来る死人の相好《そうごう》の美くしさ……一種|譬《たと》えようのない魅力の深さに、全霊を吸い寄せられ吸い奪われてしまって、今にもその眼がパッチリと開きはしまいか。そうして最前のように「アッ……お兄様ッ……」と叫んで飛び付いて来はしまいか……というような、あり得べからざる予感に全神経を襲われつづけていたのであった。瞬《まばたき》一つ出来ず、唾液一つ呑み込み得ないま
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