白汗《はっかん》を流して喘《あえ》ぐばかりなりしが、流石《さすが》に積年の業力《ごうりき》尽きずやありけむ。又は一点の機微に転身をやしたりけむ、忽然《こつぜん》衝天《しょうてん》の勇を奮《ふる》ひ起して大刀を上段|真向《まっこう》に振り冠《かむ》り、精鋭|一呵《いっか》、電光の如く斬り込み来るを飜《ひら》りと避けつゝ礑《はた》と打つ。竹杖の冴《さ》え過《あや》またず。喜三郎の眉間《みけん》に当れば、眼《まなこ》くるめき飛び退《の》き様、横に払ひし虚につけ入りたる虹汀、喜三郎の腰に帯びたる小刀の柄《つか》に手をかくるとひとしく、さらば望みに任せするぞと、云ひも終らず一間余り走り退《の》くよと見えけるが、再び大刀を振り上げし喜三郎は、そのまま虚空にのけぞりて、仏だふれに仰《あお》のきたふれつ。大袈裟《おおげさ》がけに斬り放されし右の肩より湧き出づる血に、雪を染めつゝ息絶えける。
 此の勢ひに怖れをなしけむ。残りし者は遠く逃れて、逐《お》はむとする者も見えざりければ、虹汀今は心安しと、奪ひし小刀を亡骸《なきがら》に返し、掌《たなごころ》を合はせ珠数《じゅず》を揉《も》みつゝ、念仏両三遍|唱《とな》へけるが、やがて黒衣の雪を打ち払ひて、いざやとばかり仏像を負《お》ひ取り、人心《ひとごころ》も無き六美女をいたわり慰めつ、笠を傾け、人馬を急がして行く程もなく筑前領に入り、深江《ふかえ》といふに一泊し、翌暁まだ熄《や》まぬ雪を履《ふ》んで東する事又五里、此の姪の浜に来りて足をとゞめぬ。
 虹汀此の所の形相《けいそう》を見て思ふやう。此地、北に愛宕《あたご》の霊山半空に聳《そび》えつゝ、南方|背振《せぶり》、雷山《らいさん》、浮岳《うきだけ》の諸名山と雲烟《うんえん》を連ねたり。万頃《ばんけい》の豊田|眼路《めじ》はるかにして児孫万代を養ふに足る可く、室見川《むろみがわ》の清流又杯を泛《うか》ぶるに堪《た》へたり。衵浜《あこめはま》、小戸《おど》の旧蹟、芥屋《けや》、生《いく》の松原の名勝を按配して、しかも黒田五十五万石の城下に遠からず。正《まさ》に山海地形の粋《すい》を集めたるものと。すなはち従ひ来れる馬士《まご》を養ひて家人となし、田野を求めて家屋|倉廩《そうりん》を建て、故郷|京師《けいし》に音信《いんしん》を開きて万代の謀《はかりごと》をなす傍《かたわら》、一地を相して雷山
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