執《と》り給ひつ。その時、妾、思はず手を引き候ひしに、御盃の中のもの、御膝に打ちこぼれしより、忽《たちま》ち御酒乱の体《てい》とならせ給ひ、押し止《とど》むる乳母を抜く手を見せず討ち放され候。妾は其の間に逃れ出で、やう/\に此処まで参り侍りしが、かばかり打ち続く吾家の不祥、又は、此身の不倖《ふしあわせ》のがれ方なく、たゞ死なむとのみ思ひ入り侍りしを、かく止《とど》められまゐらせ候。この上は唯《ただ》尼とやならむ。巡礼とやならむ。何国《いずく》の御方か存じ参らせねど、此の上の御慈悲《おんなさけ》に、そのすべ教へて賜はれかしと、砂にひれ伏して声を忍ぶ体《てい》なり。
 虹汀聞き果てゝ打ち案ずる事|稍久《ややしばし》、やがて乙女を扶《たす》け起して云ひけるやう。よし/\吾に為《せ》ん術《すべ》あり。今はさばかり歎かせ給ふな。先《ま》づ其の絵巻物を披見して、御身《おんみ》の因果を明らめ参らせむと、六美女の手を曳《ひ》きて立ち去らむとする折しもあれ、松の陰より現はれ出でし半面鬼相の荒くれ武士、物をも云はず虹汀に斬りかゝる。虹汀、修禅の機鋒《きほう》を以て、身を転じて虚《くう》を斬らせ、咄嵯《とっさ》に大喝一下するに、彼《か》の武士白刃と共に空を泳いで走る事数歩、懸崖の突端より踏み外《はず》し、月光漫々たる海中に陥つて、水烟《すいえん》と共に消え失せぬ。
 かくて虹汀は六美女を伴ひて呉家に到り、家人と共に彼《か》の乳母の亡骸《なきがら》を取り収め、自ら法事|読経《どきょう》して固く他言を戒《いまし》めつ。さて仏間に入りて人を遠ざけ、本尊|弥勒仏《みろくぶつ》の体中より彼《か》の絵巻物を取り出《いだ》し、畏敬《いきょう》礼拝を遂《と》げつゝ披見するに、美人の五体の壊乱《えらん》、膿滌《のうでき》せる様、只管《ひたすら》に寒毛樹立《かんもうじゅりつ》するばかりなり。すなはち仏前に座定《ざじょう》して精魂を鎮《しず》め、三昧《さんまい》に入る事十日余り、延宝二年十一月|晦日《みそか》の暁の一点といふに、忽然《こつぜん》として眼《まなこ》を開きて曰《いわ》く、
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凡夫の妄執を晴らすは念仏に若《し》くは無し 南無阿弥陀《なむあみだ》 南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏/\
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 と声高らかに詠誦《えいじゅ》する事三|遍《べ
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