いる顔もあったように思いますが、誰だったかはっきり記憶《おぼ》えません。
――僕はそれから、奥の方にある狭い室《へや》で、木製のバンコ(九州地方の方言。腰掛の事)に腰かけさせられて、巡査部長や刑事から色々な事を訊《き》かれました。けれども、頭が割れるように痛んでいましたのでどんな返事をしたかスッカリ忘れてしまいました。「嘘だろう嘘だろう」って何遍も云われましたから「嘘じゃない嘘じゃない」と云い張った事だけは記憶《おぼえ》ていますけれど…………。
――そうすると間もなく、この直方の町中で知らない人はない「鰐《わに》警部」と綽名《あだな》のついている谷警部が這入って来まして、ダシヌケに「お前の母親《おふくろ》は殺されたんだぞ」と云いました。その時に僕は急に胸が一パイになって、どんなに我慢しても、声を立てて泣かずにはいられないような気持になりましたのを、一所懸命に我慢をして涙を拭いておりますと、暫らく黙っていた谷警部は「お前が知らない筈はない」と云って僕の前にある汚い木机の上に何か投げ出しました。それは母がいつも寝床の上に置いて寝る平生着《ふだんぎ》の帯締めで、紫色の打紐《うちひも》に、鉄の茄子《なす》が附いているのでした。何でもよっぽど古いもので、母が故郷を出る時から締めていたのだそうですが、しかし、それがどうしたのか、よく解りませんでしたから俯向《うつむ》いていますと「お前はこれで母親を締め殺したんだろう」と谷警部が雷《かみなり》のような声で怒鳴りました。アンマリ非道《ひど》いので僕はカッとなって、思わず立上って谷警部を睨みつけましたが、その時に又、頭が割れるように痛んで嘔き気がつきましたので、机の上に両手をついて、身体《からだ》をブルブル震わして我慢していました。けれども口惜《くや》しくて口惜しくて涙がポロポロ出て来るのを、どうしても止める事が出来ませんでした。
――谷警部はそれから又、いろんな事を云って僕を責めました。この警部はここいらの炭坑中の悪党が「鬼」とか「鰐」とか云って怖がっているのだそうですが、僕は何ともありませんでしたから、黙って聞いておりますと……今朝八時半頃、いつもの通り塾生が二三人お稽古に来たが、いつになく裏表の戸が閉《し》まっているのを見て、裏の家主《おおや》さんに知らせた。それで家主のお爺さんが勝手口の戸の隙間《すきま》から大きな声で呼
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