ここまで進化したら天下無敵だろう。オレサマ以上に進化した奴は他にいないであろう」
 と安心して、自惚《うぬぼ》れ切った奴が、そうした得意時代の姿をソックリそのまま、スポンジ、貝類、魚、鳥、獣《けもの》という風に、それぞれの子孫に伝えて来るうちに……ドウダ……いつの間にか今日の通りの複雑多様、千変万化のありとあらゆる生物界を、諸君の眼の前に展開させて来たではないか。

 ……ところで見たまえ。
 コンナに色々と千差万別している動物たちの中でも、進化の度合いの極めて低い、海月《くらげ》以下の動物連中は、御覧の通り脳髄とか、神経|粒《りゅう》とかいうハイカラなものを持っていないだろう。大昔の通りに全身の細胞同志の反射交感作用でもって、あらゆる感覚を全身同時に意識し合いつつ、考えて、動いて、喰って、寝て、生きているだろう。
 ところが吾々みたように高等複雑な進化を遂げた動物になって来ると、御承知の通り、意識の内容が非常に立て込んで来る。細胞同志の距離間隔《へだたり》もだんだんと遠くなって『あんな処まで俺の身体《からだ》かしら』なぞと、湯槽《ゆぶね》の中で趾《あしゆび》を動かしてみる位にまで長大な姿になっている。だから、手足や、眼鼻が専門専門で分業になっているように、意識の方でも『脳髄』と名付くる自動式、複式、反射交感局を作って、全身三十兆の細胞同志の感覚や、意識を縦横ムジンに反射交感させつつ、全身一斉に……俺は俺だぞ……俺はこうして生きているんだぞ……という気持になっているのだ。
 吾々の全身三十兆の細胞は、かようにして、流れまわっている赤血球、白血球から、固い骨や、毛髪の尖端に到るまでも、吾々が感じている意識の内容をソックリそのままの意識内容を、その一粒一粒|毎《ごと》に、同時に感じ合って、意識し合っているのだ。
 眼の球《たま》ばかりで物を見る事は出来ない。耳ばかりで音は聞えない。その背後《うしろ》には必ずや、全身の細胞の判断感覚がなければならぬ。
 同様に脳髄が、脳髄ばかりで物を考えたり、感じたりする事は不可能である。その背後《うしろ》には必ずや全身の細胞相互の主観、客観がなければならぬ。さもなければ人間の脳髄は、銀幕と観衆を喪失《なく》した活動写真機と同様の無意義なものになってしまうのだ。
 しかも、その脳髄によって仲介された全身の意識の、反射交感作用の敏活な事とい
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