喚起される事になったのです。同時にその実験を初められた事が機縁となりまして正木先生御自身と、貴方と、あの六号室の令嬢との、最近の運命的な御関係を結ばれる事にもなりましたのです。これも矢張《やっぱ》り天意と申せば申されましょうが、……しかしいずれに致しましても斯様《かよう》に偉大な正木先生を、当大学に迎えて、思う存分に仕事をさせられたのは、やはり故斎藤先生の御遺徳に相違御座いません。正木先生もそのような意味からして、この肖像をここに掲げられたものに相違ないと考えられるのですが……」
私は又も深く歎息して斎藤博士の肖像を仰がずにはいられなかった。これ程の人格者、斎藤博士と、これ程の偉人正木博士と、眼の前の若林博士と、あの六号室の美少女と、そうして白痴同様の私とを一つに繋ぎ合わせているという因縁の糸の不可思議さを考えずにはおられなかった。
或る感銘深い静寂が、少時《しばらく》の間、部屋の中を流れた。けれども、それは間もなく、私が何の気もなく発した質問で破られた。
「……あッ……大正十五年の十月十九日……あの斎藤先生の写真の下に懸かっているカレンダーの日附は、斎藤先生が亡くなられてから、ちょうど丸一年目の日附ですね」
私がこう云って振り返った……その瞬間に変化した若林博士の表情の恐ろしかった事……それは、ほんの一瞬間ではあったが……大きな、白い唇をピッタリと閉じて、顋《あご》をグッと突き出すと同時に、青白い瞳を一パイに剥《む》き出して私を睨《にら》み付けた。しかも、それが余りに突然であったために、私も思わず若林博士と同じ表情になって、睨み合ったような気がしたのであったが、そのうちに若林博士は次第に落付いて来たらしく、今度は如何にも満足に堪《た》えないという風に額《ひたい》を輝やかして、幾度も幾度もうなずいた。
「……よくあれにお気が付かれましたね。あなたの過去の御記憶は、いよいよ鋭く眼ざめて参ります。もはや皮一重というところまで御回復になっておりますようで……。実は只今の御質問が出ると同時に、今度こそ貴方の過去の御記憶が、一時に目醒めて来はしまいか……そうしたらドンナ風に御介抱申上げようかと、ちょっと心配致しました次第で……。何をお隠し申しましょう。あのカレンダーは、今から約一箇月前の日附を示しているので御座います。今日は大正十五年の十一月二十日ですから……」
「それ
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