です。……そのキチガイ先生の騒ぎが、マンマと首尾よく成功した暁《あかつき》には、先生のお望み通りに精神科学が、この地上に於ける最高の学問となって来るのです。同時にこの大学みたように精神病科を継子《ままこ》扱いにする学校は、全然無価値なものになってしまうのです。……ですから、それを楽しみにして、精々《せいぜい》長生をして待っていらっしゃい。学者に停年はありませんからね」
といったような事だったと記憶しておりますが、これには流石《さすが》の斎藤先生も呆《あき》れておられましたようで……一緒に聞いておりました私も、少なからず驚かされた事でした。第一、こんな予言者めいた事を、正木先生が果して本気で云っておられるのか、どうかすら判然致しませんでしたので……正木先生がこの時、既に、自分自身で、そのような精神病者を作り出して、学界を驚ろかそうと計劃しておられた……なぞいうような事が、その時代にどうして想像出来ましょう。……のみならず正木先生が、かような突拍子もない事を云って人を驚かされる事は、その頃から決して珍らしい事ではありませんでしたので、斎藤先生も私も、この事に就いては格別に不審を起した事もなく、深く突込んで質問した事なぞもありませんでした。
……ところが間もなく、斯様《かよう》な斎藤先生の御不満が、正木先生の天才的頭脳と相俟《あいま》って、当時の大学部内に、異常な波瀾を捲き起す機会が参りました。それは、ちょうど、私共が当大学を卒業致します時で、正木先生が卒業論文として『胎児の夢』と題する怪研究を発表されたのに、端《たん》を発したので御座いました」
「……胎児……胎児が夢を見るのですか」
と私は突然に頓狂な声を出した。それ程に胎児の夢[#「胎児の夢」に傍点]という言葉が、異様な響きを私の耳に与えたのであった……が……しかし若林博士は矢張《やは》りチットモ驚かなかった。私が驚くのが如何にも当然という風にうなずいた。手にした書類を一枚一枚、念入りに繰り拡げては、青白い眼で覗き込みながら……。
「……さようで……その『胎児の夢』と申します論文の内容も、追付《おっつ》けお眼に触れる事と存じますが、単にその標題を見ましただけでも尋常一様の論文でない事がわかります。普通人が見る、普通の夢でさえも、今日までその正体が判然《わか》っておりませぬのに、況《ま》して今から二十年も昔に遡《
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