を、或る真夜中に聞いた精神病者が、ハッとした一瞬間に見た夢に過ぎない。しかも、その一瞬間に見た夢の内容が、実際は二十何時間の長さに感じられたので、これを学理的に説明すると、最初と、最終の二つの時計の音は、真実のところ、同じ時計の、同じ唯一つの時鐘《じしょう》の音であり得る……という事が、そのドグラ・マグラの全体によって立証されている精神科学上の真理によって証明され得る……という……それ程|左様《さよう》にこのドグラ・マグラの内容は玄妙、不可思議に出来上っておるので御座います。……論より証拠……読んで御覧になれば、すぐにおわかりになる事ですが……」
といううちに若林博士は進み寄って一番上の一冊を取上げかけた。
しかし私は慌てて押し止めた。
「イヤ。モウ結構です」
と云ううちに両手を烈しく左右に振った。若林博士の説明を聞いただけで、最早《もはや》私のアタマが「ドグラ・マグラ」にかかってしまいそうな気がしたので……同時に……
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……どうせキチガイの書いたものなら結局無意味なものにきまっている。「百科全書の丸暗記」と「カチューシャ可愛や」と「火星征伐」をゴッチャにした程度のシロモノに過ぎないのであろう。……現在の私が直面しているドグラ・マグラだけでも沢山なのに、他人のドグラ・マグラまでも背負い込まされて、この上にヘンテコな気持にでもなっては大変だ。……こんな話は最早《もはや》、これっきり忘れてしまうに限る……。
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……と思ったので、ポケットに両手を突込みながら頭を強く左右に振った。そうして戸棚の出外《ではず》れの窓際に歩み寄ると、そこいらに貼り並べて在る写真だの、一覧表みたようなものを見まわしながら、引続いて若林博士の説明を求めて行った。それは……
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――精神病者の発病前後に於ける表情の比較写真――
――同じく発病前後に於ける食物と排泄物の分析比較表――
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といったような珍らしい研究に属するものから……
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――幻覚錯覚に基く絵画――
――ヒステリー婦人の痙攣《けいれん》、発作が現わす怪姿態、写真各種――
――各種の精神病に於ける患者の扮装、仮装写真、種類別――
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なぞいう、痛々しい種類の
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